徳川園散策 [愛知]
徳川美術館を観て、ゴハンを食べたあとは徳川園を散策します。
あ、今回の記事は蝉の写真も出てくるので、嫌いな人は閲覧注意です(笑)
徳川園の公式サイトには、「尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています」と書かれていました。池泉回遊式の日本庭園だそうです。
黒門をくぐると、眩しい日差し!
影もくっきりだよ。
最初に渡った橋は虎仙橋です。
ものすごい蝉の声です。東京に比べてかなり賑やか(笑)
木々に目が慣れると、あちこちに蝉が止まって鳴いてます。ここなんて、蝉が横並びで止まっていたよ。見えるかな?
蝉の抜け殻もあちこちにありました。見事な抜け殻。
持って帰りたいけど、絶対つぶしちゃうから写真をパチリしたら、元の場所に戻しておこう。
日差しは強くてつらいけど、滝の音を聞くと少し癒やされるよね。
大曽根の滝というそうです。
あ、この橋は最初に渡った虎仙橋だ。橋を見上げながら龍仙湖方面に歩いていきます。
視界が開けて龍仙湖が一望出来ます。気持ちが良いわ〜〜
ここには金色の鯉が居ました。
鯉の餌も売られていて、小さい子があげていたよ。
わらわら集まる姿はちょっと怖い(笑)
湖をぐるりと一周してから徳川園を出ました。
いやー、暑かった。すぐに日焼けする相方くんは、この日一日で真っ黒になってました(笑)
徳川園を出たあと、相方くんが通っていた高校にも寄ってみることにしました。
部室がある建物の雰囲気は変わっていなかったらしい。どことなく昭和な雰囲気ww
高校の途中で埼玉から名古屋に引っ越してきたので、正直学校の記憶は殆ど無いそうです。校舎を見ても「うーん、覚えてないなあ」っていう感じでした。
東京の大学に進学したので、相方くんは殆ど名古屋では暮らしていないんだよね。一番覚えてるのが部室周辺だったらしいです(笑)
あ、今回の記事は蝉の写真も出てくるので、嫌いな人は閲覧注意です(笑)
徳川園の公式サイトには、「尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています」と書かれていました。池泉回遊式の日本庭園だそうです。
黒門をくぐると、眩しい日差し!
影もくっきりだよ。
最初に渡った橋は虎仙橋です。
ものすごい蝉の声です。東京に比べてかなり賑やか(笑)
木々に目が慣れると、あちこちに蝉が止まって鳴いてます。ここなんて、蝉が横並びで止まっていたよ。見えるかな?
蝉の抜け殻もあちこちにありました。見事な抜け殻。
持って帰りたいけど、絶対つぶしちゃうから写真をパチリしたら、元の場所に戻しておこう。
日差しは強くてつらいけど、滝の音を聞くと少し癒やされるよね。
大曽根の滝というそうです。
あ、この橋は最初に渡った虎仙橋だ。橋を見上げながら龍仙湖方面に歩いていきます。
視界が開けて龍仙湖が一望出来ます。気持ちが良いわ〜〜
ここには金色の鯉が居ました。
鯉の餌も売られていて、小さい子があげていたよ。
わらわら集まる姿はちょっと怖い(笑)
湖をぐるりと一周してから徳川園を出ました。
いやー、暑かった。すぐに日焼けする相方くんは、この日一日で真っ黒になってました(笑)
徳川園を出たあと、相方くんが通っていた高校にも寄ってみることにしました。
部室がある建物の雰囲気は変わっていなかったらしい。どことなく昭和な雰囲気ww
高校の途中で埼玉から名古屋に引っ越してきたので、正直学校の記憶は殆ど無いそうです。校舎を見ても「うーん、覚えてないなあ」っていう感じでした。
東京の大学に進学したので、相方くんは殆ど名古屋では暮らしていないんだよね。一番覚えてるのが部室周辺だったらしいです(笑)
2019-08-13 14:41
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