田中一村展、ふたたび [滋賀]
今年 6 月に、箱根の岡田美術館で開催している「田中一村」展を観て、展示作品が数点と少なくて正直チョット残念だったのですが・・・ふっふっふ。わたしは諦めないのだ。
佐川美術館でも田中一村の展覧会が開催されていることを知り、名古屋帰省を利用して行ってきたよー!
こちらは展示数 150 点という大規模な展覧会。
代表作「アダンの海辺」(7月14日から8月19日までの展示)も本物が観られたし感動!
コロルくん劇場でもチラっと触れたけど、守山市にある佐川美術館。此処は佐川急便株式会社が創業40周年記念事業の一環として開館した美術館。
平山郁夫(日本画家)、佐藤忠良(彫刻家)、樂吉左衞門(陶芸家)の作品を中心に展示しているんだそうな。
まるで水の上に浮かんでいるような気分にさせてくれる美術館でした。
この日は天気も良かったので、水面に反射する太陽の光が眩しい^^
守山駅から佐川美術館行きのバスが出てましたよ。乗っている時間は 30 分くらいかな。
縄文女子は此処でも「縄文にハマる人々」をアピールしてきましたよ(笑)
今回は時間の都合上、美術館で展覧会を見たらすぐに名古屋に帰ってきてしまったけど、次回チャンスがあれば、琵琶湖まで足を伸ばして景色を楽しみたいなーって思いました。
さてさて、田中一村展。
この展覧会は素敵でした!!
田中一村のことは過去にも記事にしてるので詳しいことは割愛するけれど、今回の展覧会は奄美大島に移住する前、千葉に住んでいた頃の作品がわりと多かった印象を受けました^^
もちろん青少年時代の作品や、画壇デビューした頃の作品、画壇と決別して奄美大島へ移住したあとの作品もあったので、一村の人生を辿って観ることが出来ます。
奄美大島の田中一村記念美術館で観た作品以外も多く観ることが出来たので嬉しかったな。
なにせ個人所蔵が多いから、普段はなかなか観ることができません ^^;
今回の展覧会では、彫刻家だったお父さんの作品も参考展示されていて興味深かったです。大満足の展覧会でした!
佐川美術館所蔵の樂吉左衞門の黒樂茶碗も素晴らしかったです。
展示方法が素敵なの。地下にある展示室で天井から自然光が差し込んでくるの。ふわっと浮かび上がる器の輪郭、光沢、良かったな^^
***********
生誕110年 田中一村展
佐川美術館
2018年7月14日~9月17日
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2018/02/110.html
***********
東京へ帰る新幹線の中からパチリした富士山。
佐川美術館でも田中一村の展覧会が開催されていることを知り、名古屋帰省を利用して行ってきたよー!
こちらは展示数 150 点という大規模な展覧会。
代表作「アダンの海辺」(7月14日から8月19日までの展示)も本物が観られたし感動!
コロルくん劇場でもチラっと触れたけど、守山市にある佐川美術館。此処は佐川急便株式会社が創業40周年記念事業の一環として開館した美術館。
平山郁夫(日本画家)、佐藤忠良(彫刻家)、樂吉左衞門(陶芸家)の作品を中心に展示しているんだそうな。
まるで水の上に浮かんでいるような気分にさせてくれる美術館でした。
この日は天気も良かったので、水面に反射する太陽の光が眩しい^^
守山駅から佐川美術館行きのバスが出てましたよ。乗っている時間は 30 分くらいかな。
縄文女子は此処でも「縄文にハマる人々」をアピールしてきましたよ(笑)
今回は時間の都合上、美術館で展覧会を見たらすぐに名古屋に帰ってきてしまったけど、次回チャンスがあれば、琵琶湖まで足を伸ばして景色を楽しみたいなーって思いました。
さてさて、田中一村展。
この展覧会は素敵でした!!
田中一村のことは過去にも記事にしてるので詳しいことは割愛するけれど、今回の展覧会は奄美大島に移住する前、千葉に住んでいた頃の作品がわりと多かった印象を受けました^^
もちろん青少年時代の作品や、画壇デビューした頃の作品、画壇と決別して奄美大島へ移住したあとの作品もあったので、一村の人生を辿って観ることが出来ます。
奄美大島の田中一村記念美術館で観た作品以外も多く観ることが出来たので嬉しかったな。
なにせ個人所蔵が多いから、普段はなかなか観ることができません ^^;
今回の展覧会では、彫刻家だったお父さんの作品も参考展示されていて興味深かったです。大満足の展覧会でした!
佐川美術館所蔵の樂吉左衞門の黒樂茶碗も素晴らしかったです。
展示方法が素敵なの。地下にある展示室で天井から自然光が差し込んでくるの。ふわっと浮かび上がる器の輪郭、光沢、良かったな^^
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生誕110年 田中一村展
佐川美術館
2018年7月14日~9月17日
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2018/02/110.html
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東京へ帰る新幹線の中からパチリした富士山。
コロル2世の夏休み・なごや、その2 [滋賀]
やあ!ボクはコロル2世だよ^^
守山に到着したボクがやってきたのは佐川美術館なんだ。佐川急便が創業40周年記念事業で作った美術館なんだって。
ここで「田中一村展」をやっていたので観に来たんだよ。
すごーく作品数も多くて楽しかった!!
そして何より美術館が素晴らしいんだ。一子相伝の樂焼なるものも鑑賞してきたよ。
琵琶湖の傍にあるから、水の魅力たっぷりの美術館になっていたよ。
居心地が良かったー^^
お昼ご飯を食べ損ねていて、あまりにもおなかが空いちゃったから、とりあえず竹輪でごまかすよ。
名古屋に着いて、ラーメンを食べちゃった!
あ〜、満足^^
東京に帰る日。ホントは新幹線の時間まで「知多 風香るbar」で過ごそうと思っていたんだけど、この日はなんと研修があったみたいで 12 時 OPEN なんだとか。新幹線の発車時刻が 12 時 22 分だったので諦めたよ (T^T
でも喉が渇いてしまったから、改札付近で我慢できずにビールを飲んじゃった(笑)
車内に入って席に着き、あらためて、ゆったり缶ビールを飲むよ^^
デパ地下で買ったおつまみも広げよう〜〜。
わかさぎの唐揚げでしょー。
マグロと夏野菜のカルパッチョ。
それからソーセージと鯖寿司も!!
今回のワインはオーストラリアの赤。品種はシラーズにしてみたよ。
のんびり飲んで過ごす車内、良いね^^
焼き鯖寿司も脂がのっていて美味しかったよ。
富士山も見えたよ。
雪のない富士山も、なかなか格好いいもんだね。
こんな感じでボクの夏休みは終わったんだ。
しばらく大きな旅行はないけれど、都内散策には出かけると思うから、そのときまた会おうね!!
+++++++
長い夏休みも終わり、本日より通常営業です^^
みなさんのブログにも遊びに行きますね!!
守山に到着したボクがやってきたのは佐川美術館なんだ。佐川急便が創業40周年記念事業で作った美術館なんだって。
ここで「田中一村展」をやっていたので観に来たんだよ。
すごーく作品数も多くて楽しかった!!
そして何より美術館が素晴らしいんだ。一子相伝の樂焼なるものも鑑賞してきたよ。
琵琶湖の傍にあるから、水の魅力たっぷりの美術館になっていたよ。
居心地が良かったー^^
お昼ご飯を食べ損ねていて、あまりにもおなかが空いちゃったから、とりあえず竹輪でごまかすよ。
名古屋に着いて、ラーメンを食べちゃった!
あ〜、満足^^
東京に帰る日。ホントは新幹線の時間まで「知多 風香るbar」で過ごそうと思っていたんだけど、この日はなんと研修があったみたいで 12 時 OPEN なんだとか。新幹線の発車時刻が 12 時 22 分だったので諦めたよ (T^T
でも喉が渇いてしまったから、改札付近で我慢できずにビールを飲んじゃった(笑)
車内に入って席に着き、あらためて、ゆったり缶ビールを飲むよ^^
デパ地下で買ったおつまみも広げよう〜〜。
わかさぎの唐揚げでしょー。
マグロと夏野菜のカルパッチョ。
それからソーセージと鯖寿司も!!
今回のワインはオーストラリアの赤。品種はシラーズにしてみたよ。
のんびり飲んで過ごす車内、良いね^^
焼き鯖寿司も脂がのっていて美味しかったよ。
富士山も見えたよ。
雪のない富士山も、なかなか格好いいもんだね。
こんな感じでボクの夏休みは終わったんだ。
しばらく大きな旅行はないけれど、都内散策には出かけると思うから、そのときまた会おうね!!
+++++++
長い夏休みも終わり、本日より通常営業です^^
みなさんのブログにも遊びに行きますね!!
長浜浪漫ビールでランチ! [滋賀]
竹生島から長浜港に戻ってきました。
2012年に長浜を訪れたときに行ったことがある「長濱浪漫ビール」というところでグビっとやりたいと思ったので、相方君にお店に電話をして貰いました。
席を確保出来たのでテクテク向かいます。
その途中にある歩道橋。車の往来も激しくないので車道を横切ることも出来るんだけど・・・せっかく神の島に行って参拝して清らかになっていますからね。ちゃんと歩道橋を渡りますよ。
「正直者の橋」と勝手に命名w
長濱浪漫ビールに到着ですよー!
わー、数年前と変わってない。
こういう店内はワクワクしちゃいますね!
前回はカウンターだったのですが、今回はお店の奥の方に案内されました。
長浜IPAスペシャルをもらいますよ。
ほどよい苦みが美味しいよ^^
おつまみは近江牛のたたき風。まぁ、いわゆるローストビーフだね ^m^
美味しかったのはコチラ!
湖国三種盛!
鮒鮨、赤こんにゃく、しじみの佃煮でした。どれもチビチビやるのに最高で日本酒が欲しくなったけど、ビールでも合いました^^
当然ビールはおかわりww
ポテトも貰ったらお腹が一杯になりました。
ほろ酔いで電車に乗り、米原から新幹線で名古屋まで帰ってきたよ。
新幹線の中では爆睡しちゃいました ^m^
充実した日帰り旅になりました。竹生島も長浜も良いところだね^^
-------
長浜浪漫ビール
http://www.romanbeer.com/
2012年に長浜を訪れたときに行ったことがある「長濱浪漫ビール」というところでグビっとやりたいと思ったので、相方君にお店に電話をして貰いました。
席を確保出来たのでテクテク向かいます。
その途中にある歩道橋。車の往来も激しくないので車道を横切ることも出来るんだけど・・・せっかく神の島に行って参拝して清らかになっていますからね。ちゃんと歩道橋を渡りますよ。
「正直者の橋」と勝手に命名w
長濱浪漫ビールに到着ですよー!
わー、数年前と変わってない。
こういう店内はワクワクしちゃいますね!
前回はカウンターだったのですが、今回はお店の奥の方に案内されました。
長浜IPAスペシャルをもらいますよ。
ほどよい苦みが美味しいよ^^
おつまみは近江牛のたたき風。まぁ、いわゆるローストビーフだね ^m^
美味しかったのはコチラ!
湖国三種盛!
鮒鮨、赤こんにゃく、しじみの佃煮でした。どれもチビチビやるのに最高で日本酒が欲しくなったけど、ビールでも合いました^^
当然ビールはおかわりww
ポテトも貰ったらお腹が一杯になりました。
ほろ酔いで電車に乗り、米原から新幹線で名古屋まで帰ってきたよ。
新幹線の中では爆睡しちゃいました ^m^
充実した日帰り旅になりました。竹生島も長浜も良いところだね^^
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長浜浪漫ビール
http://www.romanbeer.com/
竹生島の龍神拝所で瓦投げ [滋賀]
琵琶湖に浮かぶ竹生島。
宝厳寺(ほうごんじ)エリアから、都久夫須麻(つくぶすま)神社エリアにやってきました。
竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)とも言いますよ。
浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建ですが、この本殿は秀吉が伏見城内の「日暮御殿」という建物を神殿として寄進したものだそうです。もちろん国宝ww
御祭神は以下 3 柱。
市杵島比売命(= 弁才天、宗像大神)
宇賀神 (= 龍神さま)
浅井比売命 (湖北の祖神)
弁才天像の頭の上には、とぐろを巻いた宇賀神さまが乗ってますよ。そして市杵島比売命といえば、宗像三女神で水を司る神。神仏習合で弁才天と同神とされたのです。
いつか訪れたい宗像大社。ご挨拶をして縁を結んでおかねば^^
参拝を終えて向かったのは、龍神拝所です。
ここでは、かわら投げにチャレンジすることが出来ますよ。土器を投げて見事に宮崎鳥居をくぐれば、願いが成就出来ます。土器は 2 枚で 500 円。一枚に名前を書いて、もう一枚に願いを書きます。
お願い事、こんな風に四文字で書くんだね。
説明をよく見ないで私が書いた願いは・・・
あははは^^; もう願いは叶わなそうだよww
でも気を取り直して行くぞー!
先にチャレンジしてるカップルの様子を見ていると、相当頑張って投げないと届かないようです。
「えー、難しそうですね~」って言ったら、お姉さんが 「かなり思いっきり投げた方がいいわよ」って言ったので、気合いを入れて・・・
「とりゃーー!」と投げたのですが、鳥居に近づくどころか、明後日の方に飛んでいってしまいました(笑)
残りは一枚!今度こそ!と、凄腕投手になりきって投げたのですが、鳥居に届くことはありませんでした。
現実は甘くないということねw
相方君も投げましたが、成就には至りませんでした(笑)
あー、でも楽しかったね~。
そろそろ船が出航する時間になるので港に戻りましょう。
大己貴神社もあったのでご挨拶。
いつか大神神社にお伺いします!と伝えてきました^^
気持ちよくて、居心地の良い島でした。
またいつか、綺麗になった唐門を見に来られたら良いな~って思います。
名古屋からなら、そんなに遠くないもんね^^
コロル2世も満喫した竹生島参拝でした^^
長浜に到着したらお昼ご飯にしようー!
つづく。
宝厳寺(ほうごんじ)エリアから、都久夫須麻(つくぶすま)神社エリアにやってきました。
竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)とも言いますよ。
浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建ですが、この本殿は秀吉が伏見城内の「日暮御殿」という建物を神殿として寄進したものだそうです。もちろん国宝ww
御祭神は以下 3 柱。
市杵島比売命(= 弁才天、宗像大神)
宇賀神 (= 龍神さま)
浅井比売命 (湖北の祖神)
弁才天像の頭の上には、とぐろを巻いた宇賀神さまが乗ってますよ。そして市杵島比売命といえば、宗像三女神で水を司る神。神仏習合で弁才天と同神とされたのです。
いつか訪れたい宗像大社。ご挨拶をして縁を結んでおかねば^^
参拝を終えて向かったのは、龍神拝所です。
ここでは、かわら投げにチャレンジすることが出来ますよ。土器を投げて見事に宮崎鳥居をくぐれば、願いが成就出来ます。土器は 2 枚で 500 円。一枚に名前を書いて、もう一枚に願いを書きます。
お願い事、こんな風に四文字で書くんだね。
説明をよく見ないで私が書いた願いは・・・
あははは^^; もう願いは叶わなそうだよww
でも気を取り直して行くぞー!
先にチャレンジしてるカップルの様子を見ていると、相当頑張って投げないと届かないようです。
「えー、難しそうですね~」って言ったら、お姉さんが 「かなり思いっきり投げた方がいいわよ」って言ったので、気合いを入れて・・・
「とりゃーー!」と投げたのですが、鳥居に近づくどころか、明後日の方に飛んでいってしまいました(笑)
残りは一枚!今度こそ!と、凄腕投手になりきって投げたのですが、鳥居に届くことはありませんでした。
現実は甘くないということねw
相方君も投げましたが、成就には至りませんでした(笑)
あー、でも楽しかったね~。
そろそろ船が出航する時間になるので港に戻りましょう。
大己貴神社もあったのでご挨拶。
いつか大神神社にお伺いします!と伝えてきました^^
気持ちよくて、居心地の良い島でした。
またいつか、綺麗になった唐門を見に来られたら良いな~って思います。
名古屋からなら、そんなに遠くないもんね^^
コロル2世も満喫した竹生島参拝でした^^
長浜に到着したらお昼ご飯にしようー!
つづく。
竹生島参拝ですよー [滋賀]
その昔、二つの山が背比べをした。
伊吹の神が宿る伊吹山と
浅井姫が棲むという浅井山。
ある夜、どうしたことか浅井山の背が急に高くなり、次の朝になると伊吹山を見下ろしていた。
「ゆるしがたし!」
怒った伊吹の神は浅井姫に斬りつけた。
浅井山の頭は切り落とされ、琵琶湖の中へ転げ落ちた。
それが今の竹生島である。 (竹生島 琵琶湖に浮かぶ神の島より)
*****
山の背比べのオハナシは各地にあるね(笑)
琵琶湖に浮かぶこの島に昔々の人は神々しさを感じたんだね。船の安全な航行を祈る対象とされ、水神として祀られていたようです。
そこに神道が入ってきて、浅井姫命(あさいひめみこと)という神が祀られて、奈良時代に大陸から入ってきた仏教で四天王像が安置されたんだそうです。平安中期には天台宗の僧がたくさんやって来て修練の場所になり、平安後期には観音巡礼が風習化して、その頃に弁財天信仰も定着したんだって。
竹生島は日本で最初に弁財天信仰が根付いた島。
江ノ島や厳島の弁財天は竹生島の影響を受けて勧請されたものなのだ。さあ、参拝しなくちゃ!
わたしが竹生島の存在を知ったのは、20代の頃。
滋賀県にある吉田酒造の「鳰竹生嶋」というお酒との出会いがきっかけでした。いつか行きたいな~って思っていて、今回叶って良かったわ^^
ちょっと急な階段をのぼっていって、宝厳寺(ほうごんじ)の本堂に到着!
弁財天堂と呼ばれてます。お線香の良い香りがして落ち着く空間。
ここで、先代猫ゆずくんの仏壇用のお線香を買いましたわ^^
三重塔も美しいよ。
この塔の奥に宝物殿がありました。ここに展示されていた弁財天像は、東京の展覧会にも来ていたので何年かぶりでの再会でしたわ^^
宝厳寺は、西国三十三所観音霊場第30番札所。
地元の人(とくに、現在は長浜市となった旧浅井郡に住む人たち)は弁財天信仰で、遠方の人は観音様にお参りするために島に来るんだとか。
今回、国宝の唐門を見るのも楽しみにしていたのですが、なんと!修理中でした!(笑)
この唐門は、1602年に豊臣秀吉の霊廟を移築したものなの。
通称、極楽門。
この極楽門も、もともとは大坂城の極楽橋の唐破風造部分で、それを豊臣秀吉の霊廟に移築したと言われてるのだ。秀吉ですからね。さぞかし華やかなんだろうな。
秀吉は一般には竹生島を信仰していたって評されているんだけど、実際は竹生島の支援は金品の提供にとどまっていて、儀礼に参加するなどの宗教的支援は皆無だったんだって。彼の竹生島信仰は、領土支配の一環だったみたいです。
秀吉の霊廟からこの門を移築してきたのは誰だったのかなあ?
修理工事がいつまでって書いてあったか忘れてしまったけど、ピカピカになった門を見られる日が来るのが楽しみだよ。平成30年だったかしら?
この国宝の舟廊下を渡れば、都久夫須麻(つくぶすま)神社だよ。
つづく。
伊吹の神が宿る伊吹山と
浅井姫が棲むという浅井山。
ある夜、どうしたことか浅井山の背が急に高くなり、次の朝になると伊吹山を見下ろしていた。
「ゆるしがたし!」
怒った伊吹の神は浅井姫に斬りつけた。
浅井山の頭は切り落とされ、琵琶湖の中へ転げ落ちた。
それが今の竹生島である。 (竹生島 琵琶湖に浮かぶ神の島より)
*****
山の背比べのオハナシは各地にあるね(笑)
琵琶湖に浮かぶこの島に昔々の人は神々しさを感じたんだね。船の安全な航行を祈る対象とされ、水神として祀られていたようです。
そこに神道が入ってきて、浅井姫命(あさいひめみこと)という神が祀られて、奈良時代に大陸から入ってきた仏教で四天王像が安置されたんだそうです。平安中期には天台宗の僧がたくさんやって来て修練の場所になり、平安後期には観音巡礼が風習化して、その頃に弁財天信仰も定着したんだって。
竹生島は日本で最初に弁財天信仰が根付いた島。
江ノ島や厳島の弁財天は竹生島の影響を受けて勧請されたものなのだ。さあ、参拝しなくちゃ!
わたしが竹生島の存在を知ったのは、20代の頃。
滋賀県にある吉田酒造の「鳰竹生嶋」というお酒との出会いがきっかけでした。いつか行きたいな~って思っていて、今回叶って良かったわ^^
ちょっと急な階段をのぼっていって、宝厳寺(ほうごんじ)の本堂に到着!
弁財天堂と呼ばれてます。お線香の良い香りがして落ち着く空間。
ここで、先代猫ゆずくんの仏壇用のお線香を買いましたわ^^
三重塔も美しいよ。
この塔の奥に宝物殿がありました。ここに展示されていた弁財天像は、東京の展覧会にも来ていたので何年かぶりでの再会でしたわ^^
宝厳寺は、西国三十三所観音霊場第30番札所。
地元の人(とくに、現在は長浜市となった旧浅井郡に住む人たち)は弁財天信仰で、遠方の人は観音様にお参りするために島に来るんだとか。
今回、国宝の唐門を見るのも楽しみにしていたのですが、なんと!修理中でした!(笑)
この唐門は、1602年に豊臣秀吉の霊廟を移築したものなの。
通称、極楽門。
この極楽門も、もともとは大坂城の極楽橋の唐破風造部分で、それを豊臣秀吉の霊廟に移築したと言われてるのだ。秀吉ですからね。さぞかし華やかなんだろうな。
秀吉は一般には竹生島を信仰していたって評されているんだけど、実際は竹生島の支援は金品の提供にとどまっていて、儀礼に参加するなどの宗教的支援は皆無だったんだって。彼の竹生島信仰は、領土支配の一環だったみたいです。
秀吉の霊廟からこの門を移築してきたのは誰だったのかなあ?
修理工事がいつまでって書いてあったか忘れてしまったけど、ピカピカになった門を見られる日が来るのが楽しみだよ。平成30年だったかしら?
この国宝の舟廊下を渡れば、都久夫須麻(つくぶすま)神社だよ。
つづく。
2017-08-12 10:55
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竹生島へ! [滋賀]
やあ!ボクはコロル2世だよ。
今回ボクは、滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島へ行ってみることにするよ。
この頃東京は雨だったみたいだけど・・・こっちはこんなに晴れていたよ。
シロクマなのに日焼けしちゃいそうだよね!
竹生島は初上陸。楽しみだなー。
竹生島の名前の由来は「(神を)斎(いつ)く島」
「いつくしま」が「つくぶすま」に変化して「ちくぶしま」になったんだって。
「竹生島」という漢字があてられるようになったのは、この島を訪れた修験道の開祖、役小角サンがここで苦行をして弁財天の霊験を得たときに、持っていた竹杖を地に立てて、
「もしこの地、仏法興隆の地なれば、この竹成長すべし」と祈願をしたら、竹杖が二股に割れて枝葉が生じたんだそうな。そこから竹生島って書かれるようになったという説があるんだよ。
竹生島には人は住んでなくて、都久夫須麻(つくぶすま)神社と、竹生島宝厳寺だけがあるのだ。弁財天信仰と、そして観音信仰の地なんだよ。
さあ、船が到着したよ。行ってきます〜!
琵琶湖は本当に広いね。まるで海のようだよ。
竹生島に来る数日前、大雨の影響で長浜の姉川が溢れて被害が出たんだよね。
そのときは琵琶湖の波も荒れてクルーズ運行は中止になっていたんだけど、この日はちゃんと運行して良かった。
風もけっこう強かった〜!
のんびり景色を見ていたら竹生島が見えてきたよ。
いよいよ上陸だ。楽しみだな^^
今回ボクは、滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島へ行ってみることにするよ。
この頃東京は雨だったみたいだけど・・・こっちはこんなに晴れていたよ。
シロクマなのに日焼けしちゃいそうだよね!
竹生島は初上陸。楽しみだなー。
竹生島の名前の由来は「(神を)斎(いつ)く島」
「いつくしま」が「つくぶすま」に変化して「ちくぶしま」になったんだって。
「竹生島」という漢字があてられるようになったのは、この島を訪れた修験道の開祖、役小角サンがここで苦行をして弁財天の霊験を得たときに、持っていた竹杖を地に立てて、
「もしこの地、仏法興隆の地なれば、この竹成長すべし」と祈願をしたら、竹杖が二股に割れて枝葉が生じたんだそうな。そこから竹生島って書かれるようになったという説があるんだよ。
竹生島には人は住んでなくて、都久夫須麻(つくぶすま)神社と、竹生島宝厳寺だけがあるのだ。弁財天信仰と、そして観音信仰の地なんだよ。
さあ、船が到着したよ。行ってきます〜!
琵琶湖は本当に広いね。まるで海のようだよ。
竹生島に来る数日前、大雨の影響で長浜の姉川が溢れて被害が出たんだよね。
そのときは琵琶湖の波も荒れてクルーズ運行は中止になっていたんだけど、この日はちゃんと運行して良かった。
風もけっこう強かった〜!
のんびり景色を見ていたら竹生島が見えてきたよ。
いよいよ上陸だ。楽しみだな^^
彦根:開国記念館〜埋木舎と伊吹蕎麦 [滋賀]
彦根日帰り旅行、最終回です。
玄宮園をあとにして、開国記念館に向かいました。
現在の記念館は、平成20年に OPEN したものなんだそうです。
彦根の歴史がわかるようになってます。内部は撮影禁止だったので写真はないけれど、やっぱりこのあたりは重要な場所だったんだなーって感じました。琵琶湖は交通の拠点でもあったし、もっともっと太古の文化も面白そうでした。
彦根城の発掘で、佐和山城の瓦が発見されて、瓦が再利用されていたってことがわかったとか、そのような展示がありました。気になった文言が 「湖東流紋岩」 なので、時間のあるときどんなものなのか調べようっと♪
そうそう。結局彦根城では、ひこにゃんに会うことは出来ませんでしたが、開国記念館の入口に寝転んでいるひこにゃんのパネルがあったので、コレで満足することにします(笑)
さて、最後に向かったのは埋木舎(うもれぎのや)です。井伊直弼が青春時代を過ごした館。
14男だった井伊直弼。井伊家では、跡継ぎでない子弟は城下の屋敷に住みました。直弼は17歳から此処で暮らしていたんだそうな。
自分の境遇を埋れ木に例えた直弼。世の中で活躍もせず埋もれている存在の意味なんだって。この屋敷で政治の世界とは無関係に能や文芸、茶の湯の世界に身を置いていたんだね。
14代藩主である兄の子が死んでしまい、急遽15代藩主になることなど、想像もしてなかったんだろうなあ。
1963年のNHK大河ドラマ 「花の生涯」 は、井伊直弼の生涯を描いたんだね。私は生まれてないので観てません(笑)
敷地内には大きなカタツムリが居ました!
わーお。何年かぶりで見ちゃったよ(^^)
これにて彦根観光は終了〜〜!
さあ、お昼ご飯を食べよう(^▽^)/
今回は、伊吹そばというのをいただきます。 「つる亀庵」 というお店にしました。
伊吹蕎麦は、江戸時代の彦根藩御内献上品目だったんだそうよ。
こちらは、よろい重そば。出雲の割子そばのように、いくつかの薬味で違う味を楽しむんだそうな。
大根おろしや半熟卵も付いてました。
こちらは大根おろしそば。
つゆをかけながら食べるタイプ。これまたサッパリしていて美味しかったわ^^
私と相方君とコロル2世は、日本酒も貰っちゃいました。
滋賀のお酒と言えば、大好きな七本槍!これがあったのでいただきましたよ。あとは花嵐っていうお酒も貰いました。
七本槍は安定のおいしさだったわ。花嵐は米の旨みにパンチ力もあって、こちらも好みでした。あとで調べてみたら、竹生島の吉田酒造さんだったのか!滋賀の知り合いの酒屋さんで買えることがわかったので注文しようっと♪
こんな感じで彦根日帰り観光は終了です。
彦根には、ちょろっとぶぅさんが居たのですが今回は会えなくてゴメンナサイ。彦根、とっても素敵な町だったのでまた来るね♪
※ 覚書~
彦根城のお堀で、不思議なトンボを見たのだ。ぶっといトンボ!
黒地に青緑でふわふわしてて、あんなの初めて見たー!
玄宮園をあとにして、開国記念館に向かいました。
現在の記念館は、平成20年に OPEN したものなんだそうです。
彦根の歴史がわかるようになってます。内部は撮影禁止だったので写真はないけれど、やっぱりこのあたりは重要な場所だったんだなーって感じました。琵琶湖は交通の拠点でもあったし、もっともっと太古の文化も面白そうでした。
彦根城の発掘で、佐和山城の瓦が発見されて、瓦が再利用されていたってことがわかったとか、そのような展示がありました。気になった文言が 「湖東流紋岩」 なので、時間のあるときどんなものなのか調べようっと♪
そうそう。結局彦根城では、ひこにゃんに会うことは出来ませんでしたが、開国記念館の入口に寝転んでいるひこにゃんのパネルがあったので、コレで満足することにします(笑)
さて、最後に向かったのは埋木舎(うもれぎのや)です。井伊直弼が青春時代を過ごした館。
14男だった井伊直弼。井伊家では、跡継ぎでない子弟は城下の屋敷に住みました。直弼は17歳から此処で暮らしていたんだそうな。
自分の境遇を埋れ木に例えた直弼。世の中で活躍もせず埋もれている存在の意味なんだって。この屋敷で政治の世界とは無関係に能や文芸、茶の湯の世界に身を置いていたんだね。
14代藩主である兄の子が死んでしまい、急遽15代藩主になることなど、想像もしてなかったんだろうなあ。
1963年のNHK大河ドラマ 「花の生涯」 は、井伊直弼の生涯を描いたんだね。私は生まれてないので観てません(笑)
敷地内には大きなカタツムリが居ました!
わーお。何年かぶりで見ちゃったよ(^^)
これにて彦根観光は終了〜〜!
さあ、お昼ご飯を食べよう(^▽^)/
今回は、伊吹そばというのをいただきます。 「つる亀庵」 というお店にしました。
伊吹蕎麦は、江戸時代の彦根藩御内献上品目だったんだそうよ。
こちらは、よろい重そば。出雲の割子そばのように、いくつかの薬味で違う味を楽しむんだそうな。
大根おろしや半熟卵も付いてました。
こちらは大根おろしそば。
つゆをかけながら食べるタイプ。これまたサッパリしていて美味しかったわ^^
私と相方君とコロル2世は、日本酒も貰っちゃいました。
滋賀のお酒と言えば、大好きな七本槍!これがあったのでいただきましたよ。あとは花嵐っていうお酒も貰いました。
七本槍は安定のおいしさだったわ。花嵐は米の旨みにパンチ力もあって、こちらも好みでした。あとで調べてみたら、竹生島の吉田酒造さんだったのか!滋賀の知り合いの酒屋さんで買えることがわかったので注文しようっと♪
こんな感じで彦根日帰り観光は終了です。
彦根には、ちょろっとぶぅさんが居たのですが今回は会えなくてゴメンナサイ。彦根、とっても素敵な町だったのでまた来るね♪
※ 覚書~
彦根城のお堀で、不思議なトンボを見たのだ。ぶっといトンボ!
黒地に青緑でふわふわしてて、あんなの初めて見たー!
彦根城本丸を眺める〜楽々園と玄宮園 [滋賀]
彦根日帰り旅の続きです。
太鼓門櫓をくぐって、彦根城本丸に到着しました〜!
なかなか立派なお城です。
昭和27年に国宝に指定された彦根城。牛蒡積って呼ばれる石垣の上に建っています。
ホントは天守にも上るつもりでいたんだけど・・・なんと30分待ち!
そして日差しはじりじりしていて、蒸し暑いのです。。。うーん、悩んだけれど今回は天守に上るのは諦めました。また次回、彦根に来たときにのぼる!!
外観をたっぷり堪能します。
千鳥破風のバランスが美しいです。
さて、黒門山道という道を通って、楽々園と玄宮園方面に行くことにします。
楽々園は、彦根藩4代・井伊直興 (なおおき) によって建立された下屋敷。
けやき御殿って呼ばれていたそうな。そして井伊直弼が生まれたところでもあります。
残念ながら中を見ることは出来なかったわ。玄関をパチリw
こちらは御書院と呼ばれる建物。11代の井伊直中が増改築をしたんだそうな。
内部はよく見えなかったけど、ここの襖絵なんかは、かなり凄そうだよ!!
大日本印刷のサイトに内部の様子が載ってました。
http://www.dnp.co.jp/denshoubi/works/fusuma/h01.html
お庭部分は玄宮園 (げんきゅうえん) と呼ばれているそうな。
いろんな庭園を見てきたけど、ここはかなり上位にランクインするくらい素敵なところだなって思いました♪
中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」って言ったところから命名されたんだそうな。
広大な池を中心に、池中の島や入り江に架かる9つの橋があるんだって。回遊式庭園です。
あ、彦根城が遠くに見える^^
深い緑色の池が本当にきれいでした。
さて、玄宮園をあとにして、次に向かうは開国記念館です。
お堀を屋形船がのんびり進んでいきます。気持ちよさそうだね^^
つづく。
ガメラあおでしたっw
太鼓門櫓をくぐって、彦根城本丸に到着しました〜!
なかなか立派なお城です。
昭和27年に国宝に指定された彦根城。牛蒡積って呼ばれる石垣の上に建っています。
ホントは天守にも上るつもりでいたんだけど・・・なんと30分待ち!
そして日差しはじりじりしていて、蒸し暑いのです。。。うーん、悩んだけれど今回は天守に上るのは諦めました。また次回、彦根に来たときにのぼる!!
外観をたっぷり堪能します。
千鳥破風のバランスが美しいです。
さて、黒門山道という道を通って、楽々園と玄宮園方面に行くことにします。
楽々園は、彦根藩4代・井伊直興 (なおおき) によって建立された下屋敷。
けやき御殿って呼ばれていたそうな。そして井伊直弼が生まれたところでもあります。
残念ながら中を見ることは出来なかったわ。玄関をパチリw
こちらは御書院と呼ばれる建物。11代の井伊直中が増改築をしたんだそうな。
内部はよく見えなかったけど、ここの襖絵なんかは、かなり凄そうだよ!!
大日本印刷のサイトに内部の様子が載ってました。
http://www.dnp.co.jp/denshoubi/works/fusuma/h01.html
お庭部分は玄宮園 (げんきゅうえん) と呼ばれているそうな。
いろんな庭園を見てきたけど、ここはかなり上位にランクインするくらい素敵なところだなって思いました♪
中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」って言ったところから命名されたんだそうな。
広大な池を中心に、池中の島や入り江に架かる9つの橋があるんだって。回遊式庭園です。
あ、彦根城が遠くに見える^^
深い緑色の池が本当にきれいでした。
さて、玄宮園をあとにして、次に向かうは開国記念館です。
お堀を屋形船がのんびり進んでいきます。気持ちよさそうだね^^
つづく。
ガメラあおでしたっw
彦根城博物館で、表御殿の復元を観ました。 [滋賀]
彦根城博物館があった場所には、もともと彦根城の表御殿があって、大小様々な30棟ほどの建物が集まって出来ていたんだそうな。
藩主は最初は本丸御殿に住んでいたんだけど、1615年に表御殿が建てられて此処に住んだんだって。明治の初め、1878年頃に取り壊されたけど、当時の資料などをもとに復元されたのでした。
ひゃー。見事な庭園だ!!
縁側で、日がな一日眺めていてもいいなあ(笑)
しばしボーっと楽しみますw
ここは藩主が生活をした居間。風通しがとっても良さそう。
その部屋の前の廊下。
あー、うみちゃんがきっと楽しんで走るだろうなあ〜と、しばし妄想w
ここの角部屋は、藩主がくつろぐ部屋。とっても開放的で素敵でした。
いやー、かなり見応えがあった彦根城博物館。とっても面白かったです!
さて。博物館を出て今度は、天守がある本丸を目指しましょう(^-^)
これは天秤櫓 (てんびんやぐら) っていうらしい。橋を中央にして建てられていて、まるで天秤のような形をしているからなんだって。日本の城郭でこの形式のものは、彦根城だけなんだそうな。
せっかくなので、天秤櫓の中に入ってみます♪
さすが梁がすごいわ。
此処には井伊直弼が青春時代を過ごした館、「埋木舎 (うもれぎのや)」の茶室が再現されていました。
このあと、埋木舎には行くつもりでいるけど、もしかしたら茶室内部は観られないのかもって思ったので、写真をパチリしたのが大正解。埋木舎では、窓から覗いても茶室の中はよく見えませんでした(笑)
天秤櫓の格子窓からは、佐和山(城跡)と町並みが見えました。
佐和山城は石田三成が居城していたんだね。
天秤櫓を出て、石段を登っていくと・・・あ、チラっと天守が見えた!
太鼓門櫓。ここが本丸への最後の関門だったんだそうな。
次回、本丸に到着ですー^^
藩主は最初は本丸御殿に住んでいたんだけど、1615年に表御殿が建てられて此処に住んだんだって。明治の初め、1878年頃に取り壊されたけど、当時の資料などをもとに復元されたのでした。
ひゃー。見事な庭園だ!!
縁側で、日がな一日眺めていてもいいなあ(笑)
しばしボーっと楽しみますw
ここは藩主が生活をした居間。風通しがとっても良さそう。
その部屋の前の廊下。
あー、うみちゃんがきっと楽しんで走るだろうなあ〜と、しばし妄想w
ここの角部屋は、藩主がくつろぐ部屋。とっても開放的で素敵でした。
いやー、かなり見応えがあった彦根城博物館。とっても面白かったです!
さて。博物館を出て今度は、天守がある本丸を目指しましょう(^-^)
これは天秤櫓 (てんびんやぐら) っていうらしい。橋を中央にして建てられていて、まるで天秤のような形をしているからなんだって。日本の城郭でこの形式のものは、彦根城だけなんだそうな。
せっかくなので、天秤櫓の中に入ってみます♪
さすが梁がすごいわ。
此処には井伊直弼が青春時代を過ごした館、「埋木舎 (うもれぎのや)」の茶室が再現されていました。
このあと、埋木舎には行くつもりでいるけど、もしかしたら茶室内部は観られないのかもって思ったので、写真をパチリしたのが大正解。埋木舎では、窓から覗いても茶室の中はよく見えませんでした(笑)
天秤櫓の格子窓からは、佐和山(城跡)と町並みが見えました。
佐和山城は石田三成が居城していたんだね。
天秤櫓を出て、石段を登っていくと・・・あ、チラっと天守が見えた!
太鼓門櫓。ここが本丸への最後の関門だったんだそうな。
次回、本丸に到着ですー^^
彦根城博物館をまだまだ堪能しますよー [滋賀]
名古屋帰省中に出かけた彦根城博物館の続きです。
彦根藩主だった井伊家。そして井伊直弼は、私が習った頃の歴史の教科書では、江戸で強権的な政治を行って反感をかい暗殺されたという側面しか載っていません。
でも、地元である彦根では、鎖国していた日本を開国に導いた偉人として高く評価されているんだって。私は政治的なことにはあまり興味が無いけれど、井伊直弼の文化的な側面に興味がわいて博物館に来たのでした^^
14男として生まれてきたために、本来は家を継ぐ立場ではなかったんだね。
だから17歳から文武の修養に生涯をかけようと、禅・茶の湯・国学などの修養に没頭したんだそうな。
彦根藩お抱えの能役者や家臣から茶の湯を学んだそうな。これ ↑ は、井伊直弼が書いた 「炭の書」 です。炭火の加減などの解説書。サントリー美術館でも 「緒方流陶術秘法書」 が展示されていたけど、勉強熱心だったんだなあ〜。
こちらは、井伊直弼が作った楽焼きの茶入れ。
それから急須。表面がザラっとしているように見えるのは、関東大震災で罹災したからなんだって。
これも井伊直弼が作った黒漆の桶花生です。
水汲み用の日光産の桶に黒漆を塗らせて、花生に見立てたものなんだとか。胴の部分に一首を自筆してるのが見えます。
なかなか素敵な作品でした(^^)
「一期一会」は、茶会の心得を示す、井伊直弼の言葉だったんだねぇー。
井伊家に伝わる室町時代の琵琶 (銘:新月) も素敵でした!!
それから婚礼調度品も。これは歯を掃除するときに使う楊枝をおさめる台。
蒔絵ですよ!! なんて立派な楊枝入れなの(笑)
驚いたのは、博物館内に能舞台があったこと!!
江戸時代、寛政12年(1800年) に、この場所に建てられた由緒ある舞台なんだそうな。当時演能が盛んに行われていたんだって。
現在もここで能が観られるようです。
来月、9月22日に「彦根城能」が開かれるみたいだよ。
もし雨でも室内で鑑賞できるからいいね。
能舞台の前にはお茶席があったので、ちょっと此処で休憩します。
生菓子と抹茶セットで500円。
季節のお菓子って良いよねえ〜。「和」 を感じるわぁーー^^
器も季節感があってとっても素敵です。
こっちの器も良い雰囲気でしょう。
コロル2世も大満足(^^)
さて、博物館は広いです。まだまだ観に行きますよ。
今度は復元された表御殿を観に行きますー!
つづく。
--------
彦根城博物館
http://hikone-castle-museum.jp/
彦根藩主だった井伊家。そして井伊直弼は、私が習った頃の歴史の教科書では、江戸で強権的な政治を行って反感をかい暗殺されたという側面しか載っていません。
でも、地元である彦根では、鎖国していた日本を開国に導いた偉人として高く評価されているんだって。私は政治的なことにはあまり興味が無いけれど、井伊直弼の文化的な側面に興味がわいて博物館に来たのでした^^
14男として生まれてきたために、本来は家を継ぐ立場ではなかったんだね。
だから17歳から文武の修養に生涯をかけようと、禅・茶の湯・国学などの修養に没頭したんだそうな。
彦根藩お抱えの能役者や家臣から茶の湯を学んだそうな。これ ↑ は、井伊直弼が書いた 「炭の書」 です。炭火の加減などの解説書。サントリー美術館でも 「緒方流陶術秘法書」 が展示されていたけど、勉強熱心だったんだなあ〜。
こちらは、井伊直弼が作った楽焼きの茶入れ。
それから急須。表面がザラっとしているように見えるのは、関東大震災で罹災したからなんだって。
これも井伊直弼が作った黒漆の桶花生です。
水汲み用の日光産の桶に黒漆を塗らせて、花生に見立てたものなんだとか。胴の部分に一首を自筆してるのが見えます。
なかなか素敵な作品でした(^^)
「一期一会」は、茶会の心得を示す、井伊直弼の言葉だったんだねぇー。
井伊家に伝わる室町時代の琵琶 (銘:新月) も素敵でした!!
それから婚礼調度品も。これは歯を掃除するときに使う楊枝をおさめる台。
蒔絵ですよ!! なんて立派な楊枝入れなの(笑)
驚いたのは、博物館内に能舞台があったこと!!
江戸時代、寛政12年(1800年) に、この場所に建てられた由緒ある舞台なんだそうな。当時演能が盛んに行われていたんだって。
現在もここで能が観られるようです。
来月、9月22日に「彦根城能」が開かれるみたいだよ。
もし雨でも室内で鑑賞できるからいいね。
能舞台の前にはお茶席があったので、ちょっと此処で休憩します。
生菓子と抹茶セットで500円。
季節のお菓子って良いよねえ〜。「和」 を感じるわぁーー^^
器も季節感があってとっても素敵です。
こっちの器も良い雰囲気でしょう。
コロル2世も大満足(^^)
さて、博物館は広いです。まだまだ観に行きますよ。
今度は復元された表御殿を観に行きますー!
つづく。
--------
彦根城博物館
http://hikone-castle-museum.jp/