SSブログ

日帰り千葉ドライブ:風土記の丘資料館 [千葉]

あおを捕まえて楽しむ相方クン。
あおは「いいかげんにしろにゃ〜」って感じ?

IMG_8886.JPG

今日から 8/10 に出掛けた日帰り千葉ドライブの後半です。
右側の銚子界隈を移動して高速に乗って左側の赤丸あたりにきました。このへんは成田山や成田空港のあるあたりだよ。

IMG_3128.jpg

目指したのは、成田山周辺から少し西にある古墳群です。
関東で古墳って言うと、今まで私は群馬県が浮かんでいたのです。関東の古墳大国と言えば群馬!って。
ところが、じつは古墳の数は千葉が多いのだ。

文化庁調べによる、令和三年での全国古墳数ランキング
千葉県が4位で、群馬県は12位。埼玉県が14位なのです。なんてこった!千葉、ダントツじゃん!
(ちなみに北海道・青森・秋田はゼロ。古墳時代、この地域にのちのヤマト王権勢力は及んでいなかったね。VIVA 縄文人!?(笑))

古墳があるということは、そこに有力な権力者が居たということ。
ましてやそれが前方後円墳なら、それはヤマト王権の影響を受けているヤマト王権組(笑) という証でもあるよ。
千葉の古墳に関する知識は無いので、今回は古墳の本に載っていた「龍角寺古墳群」というところを目指したのでした。このすぐ傍に「風土記の丘資料館」があって、ここでまずはお勉強をしよう^^

稲作によって生活が豊かになり、ムラが登場し始めたのが、今から約 1800 年前(3世紀くらい)。
ムラを治める代表者が生まれ、その代表者が富と権力を示すために土を盛り上げて築いた墓が古墳だよ。

というわけで、此処からは暑苦しい古代の話になるので、
興味のない人は適当にスルーしてね。



風土記の丘資料館。なかなか立派な建物です。
なんと今年 4 月 29 日にリニューアルオープンしたばかりだったよ。すごい良いタイミングに来たのかもしれない^^

参考にした古墳本によると、県内各地の遺跡から出土した考古資料を展示と書いてあったけど、龍角寺古墳群・岩屋古墳のガイダンス施設としての充実を図ったみたい。より地域に特化した施設にしたのかな?



この建物の入口脇には、昭和55年に発掘調査をした石室がありました。
龍角寺108号墳石室。もともとは方墳だったようで、石室の石材は筑波山麓で産出される雲母片岩(通称:筑波石)だって。



館内はリニューアルしただけあって、とても綺麗な空間!
この資料館がある周辺、印旛沼を望む高台には、大小 115 基の古墳が造られているんだって。その総称が龍角寺古墳群。

その名前のもとになった龍角寺は、和銅2年(709年)に建立したと伝えられる、関東地方でも最も古い寺院の一つ。本尊の薬師如来坐像は千葉県では最古の白鳳時代のものだそうな。
資料館内には龍角寺境内から出土した遺物も展示されてました。
旅の最後に龍角寺にも行ってみたんだけど、今は廃れたお寺という印象が強かったです。

資料館内で最初に紹介されていたのは、龍角寺古墳群のなかの101号墳。
発掘調査をしたあとは、当時の姿を再現している唯一の古墳なのだ。あとで現地で見た写真がコレ。



なかなか良い雰囲気の古墳でしょ。
円墳で直径は約25m、墳丘をめぐって円筒埴輪が並んでいたよ。石棺からは 8 体の人骨が出土したそうな。成人男性3、成人女性3、小児1、幼児1 という内訳。



埋葬施設からは碧玉の管玉、金箔の貼った耳環などの装身具や、直刀などの武器も出てきたみたい。6世紀前半に埴輪を立てて築かれ、7世紀初頭まで何回も埋葬が行われたようです。



続いて紹介されていたのが浅間山古墳。「せんげんやま」って読むよ。
これは龍角寺古墳群のなかで、最大にして最後の前方後円墳なんだって。



古墳が築造された時期は 7 世紀頃と想定されてるとのこと。
確かに古墳時代最後だね。教科書の時代区分で言えばその頃は既に飛鳥時代じゃないかな。大和では律令制を確立させようとしていた頃。

この古墳、平安時代に盗掘されたらしいわ。そういうのが分かるのも凄い(笑)
石室やその周辺から金堂製の馬具や金銀の冠飾などの一流の副葬品が出土してるとのこと。

古墳の横穴式石室が、資料館内に再現されていました。

IMG_8503.JPG

こんな感じ〜!
中に入って頭をぶつけたのは内緒です(笑)



ここの被葬者は金銀の冠飾をつけていた。



推古11(603)年に制定された冠位。これは王族と蘇我氏を除く有力豪族が対象の冠位。地方を代表する豪族も、この服飾制に組み込まれていた可能性を示唆している副葬品みたいです。

大和から離れたこの地でも、しっかり大和の勢力は及んでいたんだなあ〜って、しみじみ思っちゃった(笑)

まだまだ資料館での話は続くけど、長くなったので今日はここで終わり。