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北杜市の向日葵畑は雨になりました [山梨]

去年の夏。
「一面に咲いている向日葵が観たい!むかし北海道で観たあの向日葵畑が忘れられない」 と言った相方君。

でも去年はチャンスがなくて行けず。
今回はまだ向日葵も咲いてる時期だから、諏訪の帰りに観られるかも!と楽しみにしていました。目指すは山梨県北杜市の明野サンフラワーフェス2016 なのです。

本人の中では、眩しい太陽の下、一面に広がるビタミンカラー!を想像していたようなのですが・・・白州蒸留所を出た頃から、空模様は怪しくなってきました。そして振りだす雨・・・

残念

もともとこの日は雨の予報だったのです。
東京では暴風雨だったと思うのよね・・・でも諏訪を楽しみにしていた私は晴れ女。自分の観たいところが終わった途端、パワーがなくなって雨になっちゃったみたい^^;

がんばる

でもね、相方君が楽しみにしていた向日葵だから!
ドシャ降りにはならないでーーー!

本来なら、どんより空の部分は青空だったハズなんだけどね^^;

どうだー

こうやって見る分には綺麗でしょ?

コロルとパチリ

相方君、無言でシャッターを切ります。
頑張れ頑張れ!!

どうかなー

やっぱりちょっと残念な感じだけど、それでも撮れたからいいかなって。
もっとじっくり撮っていいんだよー。

がっくりしてます

雨に打たれて、下を向いてしまってる向日葵たち。
ちょっと可哀相だね^^;

どよーん

ほんとは背景は青空が良かったね!

残念

こうして長かった日帰り諏訪ドライブは終了。レンタカーを返す時間は 20 時。それまでに東京に戻らなくちゃいけません。でも、東京に近付くにつれ、雨はどんどん強くなり、そして高速ではあちこちで事故渋滞が発生しちゃいました。

20 時には間に合いそうもないね、レンタカー屋さんに電話しようかって話をしていたら、途中からスムーズに動きだして、時間通りに返却することができました。良かった良かった。

相方君、運転お疲れ様でした。

*********
白州蒸留所で買ったウィスキーはこちら♪♪

ウイスキー

朝 2 時半に出発して、帰ってきたのが 20 時。
長い長い日帰りドライブでした^^
疲れたけど面白かったー!

長々おつきあいありがとうございました^^

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サントリー白州蒸留所で試飲を楽しみました [山梨]

諏訪のドライブで、本当は白州に行くつもりはありませんでした。
でも出発前、地図を観ていた時に相方君が 「あれ。白州蒸留所があるよ」 って気づいちゃったのです。気づいちゃったら、やっぱり行きたくなっちゃうでしょー。

のどかです

諏訪大社を参拝して、神長官守矢資料館を観終わったら、何処かで温泉に浸かって、そして向日葵を観に行くつもりでした。サントリーの白州蒸留所にも寄ることを決めたのは、出発前ぎりぎり。そして実際に来てみて、レンタカーの返却時間を考えると、温泉と白州蒸留所のどちらかを諦めないと間に合わない状況になりました。

どっちを取るか・・・の決断は早かった(笑)
温泉はまた今度!ってことで、アルコールを取りましたww

えへへ

この日の見学ツアーは満員。予約してなかったから仕方ないね。
試飲ができればいいよーー^^

いえーい

相方君はドライバーだから飲めません。
それなのに温泉をやめちゃうなんてねww

のりのり

あ、決して私がゴリ押ししたわけじゃないよ!
相方君も白州蒸留所がいい!って言ったんだよ(笑)

コロルも楽しいよ

自然に囲まれてるって感じがします。ここでなら美味しいウィスキーが出来上がりそうだよ。

おいしいものが出来そうね

まずは博物館を見学~~。展示品の写真撮影は OK でした^^

お邪魔します

1929年。国産第一号のウィスキー。当時の日本人の口には合わなかったんだよね。
マッサンを観ていたから、なるほどなるほどと思いながら観たよw

第一号

赤札ボトルと特角ボトル。

良い雰囲気

こういう道具なども見ながら進みます。
でもね、さらーっと見て回っただけだよ^^

えへへ

なぜなら早く試飲したかったんだもん(笑)

はやる気持ちを抑えます

この空間は、ビクトリア時代のパブを再現したものでした。
いいなあ、こういう雰囲気♪

楽しそうだ

そしてお待ちかねの試飲です!!
3 種類選べるのだ。メニューを見て悩んで悩んで選んだのがコチラの 3 種類!

じゃじゃーん

山崎 12 年の構成原酒。シェリー樽のものを選んでみました。
アルコール度数は50% です。

山崎

それから同じくシェリー樽で眠った白州 12 年の構成原酒。
こちらも同じく 50%

白州

あとひとつは、白州蒸留所ニューポット。
ニューポットってなんですか?って聞いたら、樽に入れる前の蒸留したての原液なんだって。これは蒸留所でしか飲めませんって言われたのでチョイス。
他より高めの 58% のアルコール度数。

うふふ

それぞれに味わいが違って面白かったです。
ニューポットは樽の香りが付いてない所為もあって、ジンやウォッカを飲んでいるような感覚でした。キリリと冷えていたら美味しいかも。

白州と山崎では、山崎の方がより柔らかな香りを感じたよ。
白州も香り豊かで、こっちはウィスキーです!って感じが強いかな?^ω^*

おいしかった

どれも美味しかったーー^^
私が飲んでいるあいだ、相方くんはお水を飲みながら待っておりました。お水のおかわりを持ってきてくれたお姉さんに 「とても美味しい水です」 って言ったら、「天然水ですから」 って言われてました(笑)

次回はいよいよ最終回です。

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神長官守矢資料館に来ました [長野]

諏訪大社関連の本を読んでいると必ず出て来ていた神長官守矢資料館。
諏訪大社の次に来たかった資料館です。

到着!

守矢家の敷地内に建つ資料館。独特の雰囲気でしょう。
この資料館がある茅野市で生まれ、諏訪で育った建築家、藤森照信氏の設計だそうです。諏訪の自然と中世の信仰のイメージを取り込んだモチーフだそうな。

いかにも

出雲からタケミナカタが来る前からこの土地に居た洩矢神 (守矢家はその子孫) 。この資料館では守矢家が守り語り継いできたものの一端を見ることができます。神話以前の人々の暮らしがね^^

それでも

中に入る前に、いろんなアングルから撮っちゃった建物(笑)

いざなかに

まず真っ先に目に飛び込んでくるのは、鹿と猪の剥製です。
諏訪大社、上社の前宮にあった十間廊にズラリと並べられたであろう鹿と猪の頭。御頭祭 (おんとうさい) の説明がされております。

首です

今の私たちからしてみたら、毎年 75 頭もの鹿や猪を供えるなんて残酷って思っちゃうところもあるけど、時代を遡って考えてみれば、生きるために必要なものだったと思えます。食べ残して廃棄してしまう今の世の中の方が、ずっと残酷かもしれません。

ウサギも神に捧げられていたのね。
このときの神というのは、おそらく守矢家が祀っていた洩矢神と同一と考えられているミシャグチ神と思われます。私は蛇を象徴した神だと思ってます。

串刺し

脳の和えものも。

のうみそ

御頭祭 (おんとうさい) では、75 頭の中に必ず耳が裂けた鹿が現れて、これは諏訪大社の七不思議と言われているそうな。裂けた耳を持つ鹿の剥製もあり、横には 「耳裂鹿 神の矛にかかったという」 と書かれています。

裂けてます

実際にはきっと、わざと 1 頭だけ耳を裂いた鹿を用意したと思うんだけど、ではそれは何故なのか?というのは答えは出てません。

いろんな人の本を読むなかで、ミシャグチ神は大国主命の子孫 (タケミナカタ) に殺されたことを伝えるものと書いてる人もいましたが、タケミナカタはもともとは出雲の大国主命とは無関係だっていう説を私は信じたいので、いまいち納得できない。

だけど、ミシャグチ神はタケミナカタに負け、そしてタケミナカタは鹿を眷族としている朝廷側の藤原氏の氏神に負けたことを考えると、鹿にこだわる理由もあるような無いような(笑)
うーん、わかりません!

資料館の外には祠がありました。

外の様子

洩矢一族 (守矢一族) は、タケミナカタ率いる諏訪一族に負けたけど、滅ぼされることはなかったのです。土着勢力を抹殺せず、祭祀の実権をゆだねました。縄文から弥生に移行する過程と同じだという研究者もいました。なるほど。

なぜ抹殺されなかったのか、それは守矢一族がミシャグチ神を束ねていたからなんだとか。今のような科学が発達した時代じゃないもんね。縄文時代から祀り続けられてきたミシャグチ神。荒ぶる神であり祟りをなす神のようです。縄文の人々が自然に対して抱いていた畏怖の感情が表れている神様。

その神様を祀ることができるのは、タケミナカタの諏訪一族ではなく、守矢一族だったみたい。

こんな感じでした

おどろおどろしいものではなく、自然に対する素直な祈りだったと私は思います。
今でさえ、天災には人は敵わないもの。その際、生贄を用意するのは昔はどの国も似た感じだよね。

生と死と

祠の周りには栗の木がたくさんありました。
縄文の人たちも、このあたりに自生している栗をとって食べていたんだろうなーなんて思っちゃったわ。そして木曽の馬籠宿で買った栗きんとんを思い出して食べたくなったのー(笑)

あおあおしてます

この旅から帰ってきて、ネットで栗きんとんを注文したんだもんww
さるすべりの木も、ちゃんと覚えたよ^^

可愛い花

可愛い花を付けるんだね。
神長官守矢家の敷地内の雰囲気を楽しんで、此処をあとにしました。
来て良かったーーー!

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諏訪市博物館に到着です [長野]

高島城周辺を散策したあとは、諏訪大社上社近くにある諏訪市博物館も見学しますよ。

到着~

入口には、御柱祭のときに使用された御柱を曳いた綱がありました。
やっぱりとぐろを巻いているんだねえ。

宇賀神さんみたい

平成2年にオープンした博物館のようです。
1F が特別展示室になっていて、世界のチョウチョ約2,000 頭を展示してました。遠くから見ると絵画のように蝶のグラデーション!!美しかったです。

企画展も 1F で開催されていて、このときは諏訪氏の3代に関する資料が展示されておりました。時代で言うと、真田氏が活躍した天正から慶長年間のものだそうです。

常設展示は 2F です。
諏訪湖が出来た頃の説明なんかもパネルになっていました。

地殻変動

この界隈の遺跡から発掘された黒曜石の石鏃 (せきぞく)。

綺麗だね

そして縄文中期の土器も。かなり独特の形で面白い。

センスがいいと思うよ

縄文のころから・・・きっとそれよりも前から、人間は蛇に対して特別な思いを持っていたんだろうなって思います。縄文土器だって、蛇の鱗を表していたりするもんね。

恐れと敬い

諏訪大社下社の春宮と秋宮で競い合った彫刻もありましたよー。

これです

もちろん御柱に関する資料も展示されていました。
御柱に関しては、私には難しすぎたので書くのはやめておきますね^^

でも本当にすごいお祭りだと思う。今回諏訪記事を書いた縁で、Twitter で下諏訪在住で、御柱を曳く綱を作った氏子さんともお知り合いになれたのでラッキー!(笑)

博物館を出て、ちょっとお土産を見てみよう~~。

どんなのがあるかなー

此処では野沢菜を買っちゃいました^m^
家でラーメンを作るときに入れてます(笑)

美味しいよ

あとは鹿肉のサラミ!
ほら、諏訪大社で鹿食免を受けてるから鹿肉食べても大丈夫だもん♪

たのしみ

味はね、ごく普通のサラミでした。鹿肉って言われても分からないわww

ぱくぱく

さてさて。

諏訪大社の次に来たかった場所に到着。
出雲から来たタケミナカタに負けてしまった土着神、洩矢 (モレヤ) 神の子孫。神長官守矢家の資料館です。

どきどき

つづく。

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諏訪湖博物館と高島城 [長野]

諏訪ドライブ。
遅い朝食 & 早い昼食を食べて次に向かったのは、諏訪湖博物館です。
高島城に向かう途中で立ち寄ってみました。

この周りはトンボが凄かった!
久しぶりにぶつかりそうなくらいトンボと遭遇だよー。それを狙ってツバメさんも低空飛行で面白かった。車にぶつかってくるんじゃないか?ってチョット怖かったけどw

博物館到着

諏訪湖博物館には、諏訪湖での漁に関する道具や資料なんかが展示されておりますよ。

ほうほう

ここで、ウナギ漁のことを知って、「さっきの店でウナギ食べれば良かった~!」 と後悔したのでした(笑)

うなぎ漁の道具

さすがは長野。スケート靴ですよ!
昔は諏訪湖で下駄スケートが楽しめたんだねえ。長野オリンピックの資料なんかも展示されていました。

すごーい

もちろん黒曜石もあるよ。
他の産地の黒曜石と比べるコーナーもあって、下諏訪から算出された黒曜石のほうが艶がいいの!
質が良いのは見てすぐに分かりました。実際に触れる展示もあって、ちょっと触ったんだけど気をつけないとスパっと指を切りそうな感じでした。

つやつやなの

そして、ありました!!
諏訪湖に沈んでいる曽根遺跡から発見された黒曜石の石鏃 (せきぞく) だよ!!
形も綺麗だったなー。

すごいねー

1908年に行われた湖底の調査で大量に矢じりが発見されて注目されるようになったんだそうな。気候変動にともなう諏訪湖水位の上昇で、縄文後期から弥生中期 (3000~2000年前) には水没してしまったと、現在はいわれております。

曽根遺跡で縄文人たちが暮らしていた頃は、今よりも 15m くらい諏訪湖の水位は低かったみたいです。この遺跡で見つかる黒曜石の産地を調べてみると、かなり広い範囲から産出したようで、この諏訪エリア一帯は黒曜石がホントにたくさん採れたのねーって実感。

パンフレット

そして下諏訪の星ヶ塔の黒曜石は函館にまで流れていたようです。
縄文の頃に、どんな流通ルートで津軽海峡を渡ったんだろう!!
私たちが想像する以上に、縄文人は日本各地を渡り歩いていたんだね(笑)

黒曜石で濾過 (?) されたお水を貰って休憩w

なかなか面白かったな。
博物館を出て、高島城も観に行くよー。蝉がサイドミラーに止まりました!
スピードを出して蝉が落ちると絶対車に轢かれるよね・・・相方君、安全運転で高島城の駐車場に車を止めます。

セミさん

車のドアをあけたらびっくりして蝉は飛んで行ったんだけど、ちゃんと木々が生えてる方に飛んで行ってくれたから良かったわ。

諏訪高島城。小ぶりだけど、なかなか形の良いお城です。
1592 年に着工して 7 年の歳月をかけて完成したお城だって。当時は城の際まで諏訪湖の水が来ていたようで、諏訪の浮城と呼ばれていたんだとか。今じゃ、その様子は想像できなかったです。

お城に到着

明治時代の廃藩置県で、城郭や天守閣が撤去されて、現在の天守閣は 1970 年に復興されたものだそうな。本丸跡は高島公園として開放されているそうです。

諏訪護国神社には、諏訪市、岡谷市、茅野市、諏訪郡より出征されて、戦死・戦病死された英霊や、国家公共の為に尽くした人々の神霊がご祭神として祀られてました。

神社

このお庭もなかなか素敵だったよ。ここでは沢山の家族連れがポケモンGO をしてたわ^^

ポケモンGO

市民の憩いの場って感じがしたよ。
さて、次も博物館へ GO なのです^^

つづく。

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下諏訪の歴史民俗資料館と、遅い朝ごはん [長野]

諏訪大社、二社四宮すべての参拝が終わり、歴史民俗資料館に行きました。
9 時の開館と同時に入りましたよ。入場無料^^
( 諏訪大社下社・秋宮の宝物殿は 9 時半からだったので、さきに歴史民俗資料館を観た後、宝物殿に戻ったのでした )

ここですー

江戸時代の宿場民家を保存する資料館です。館内には宿場関係の資料を中心として、街道や温泉などの資料も展示されていました。

わお

中に入って、まっさきに目に飛び込んできたこの太い綱。
御柱を曳いた綱です。こんな風にとぐろを巻いた状態で町中のあちこちにありました。

凄いでしょ

まるで諏訪の土着神、蛇形のミシャグチ神をみているかのようです^ω^

いい雰囲気いいねえ。
馬籠宿の雰囲気を思い出しました。

いろり

こういう梁を見ると、うみが此処をダダダーっと走る姿を想像しちゃうのよねww

楽しそう

とっても綺麗に保存されているなって感じました。

階段

諏訪宿界隈の様子を描いた浮世絵と、そしてその界隈の写真も展示されていました。
ほんとに浮世絵で描かれた山々と宿だけの世界でビックリしちゃったわ。思わず 「何もなかったのねー」 って言っちゃったもの(笑)

資料館をあとにして、歩いているときに見つけたお店。
塩羊羹を売ってるお店でした。

ふむふむ

相方君、迷わず買い求めていましたよ。
家に帰ってから美味しそうに食べておりました^^

わたしは一切れw

素朴な感じなのは、とっても好感が持てます♪

わーい

このあとは、いろいろな博物館めぐりをする予定。
でも、おなかが空いてしまったので何かを食べないと頭が働かない・・・時間は 10 時半にもなっておらず、まだランチの時間には早いです。

ネットで調べて見つけたこちらのお店。この時間でも OPEN してるって!

こんな雰囲気

レストラン 「能登」 です。
ご主人が能登出身なのかしら? 下諏訪で海の幸をいただけます(笑)
店内はこんな感じ。昭和な雰囲気ww

どうですか

私は海鮮冷やし中華。麺が見えないくらい海の幸!!
そして何故かいなり寿司も付いてるよww

どどーん

相方君はマグロカツ定食。とってもボリュームがあったので、わたしもつまんじゃったわ。

CIMG0216.jpg

このお店。ウナギの定食もあったのね。
このあと行った博物館で、ウナギが有名だってことを知って、そっちを食べれば良かったとチョット思ったのでした(笑)

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諏訪大社の秋宮です [長野]

諏訪大社、下社。最後に行ったのは秋宮です。
現在、神様はこちらに鎮座しておりますよ。
( 秋宮に居るのは、8月1日〜1月31日までです )

光がまぶしい

さあ、こちらはどんな雰囲気かな?

わくわく
【 鳥居をくぐるときと、参拝するときは帽子をとりましょうねw 】

基本的には春宮と同じ造りなんだね。
幣拝殿の前に神楽殿がありました。まだ朝早かったので、宝物殿は開いておらず、あとからまた戻ってきて観たよ。

ふむふむ

神楽殿のしめ縄、ほんっと立派でした。
こちらでもお参りをしておこうっと。

おまいり

御柱の 1 つはこちら。やっぱりこの御柱にも御幣 (ごへい) というか大麻 (おおぬさ) は付いてなかったです。

不思議だねー

幣拝殿はこんな感じ。威厳があるわ。
春宮と秋宮では、お互いで彫刻の技を競い合ってるの。秋宮は、江戸時代中期から後期に活躍した立川和四郎という大工が。そして春宮は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門という人物が請負ったんだそうな。

じゃじゃん

彫刻は、このあとに行った博物館にも展示されていたので、観てきました^^

上社の前宮、本宮と比べると、一般的な神社という感じがしました。
凄くカッコ良いんだけど、各地でよく見かけるような立派な神社って感じかな。多分、この諏訪の地に昔からあったわけじゃないもんねという思いが、私の目にフィルターをかけちゃっているんだろうなと自覚しました。

こちらもね

宝物館も勿論チェックです。

チケット

諏訪の此の地で 「お諏訪さま」 として親しまれているタケミナカタ。
古事記の内容を考えると、大和朝廷の組織化を目指す体制に迎合しなかったために、抹殺されてしまったと思われるタケミナカタは、この秋宮にも当然祀られているんだけど、なんとなく存在は薄いように感じちゃったわ。

今回の記事で、まるで結界を張るように建てる 4 本の御柱のことについては触れるのをやめちゃいました。

諏訪大社といえば御柱祭!なんだけど・・・やっぱりこの御柱の存在意義は難しいです。古くから木を祀る習慣はあるわけなんだけど、国会図書館で本を読んでいたら、日本を飛び出して世界史の範囲にまでなってしまって、こりゃ、今の私には無理ぃー!って思って本を閉じました(笑)

まあ、人類発祥はアフリカでもあるわけだから、日本だけのことを考えていても本当はいけないのかもしれないけどね^^
またじっくり考えたら何かの機会に書きたいと思います。
御柱祭の動画はネットでいろいろ観られると思うので、興味があったら検索してみてね。

境内にはさざれ石もありました。
このときは、ちょうどオリンピックをやっていて金メダル獲得のたびに君が代が流れていたから、ついついパチリしちゃった(笑)

細石

秋宮を出て、中山道下諏訪宿 「本陣 岩波家」 と、歴史民俗資料館へ向かいますよー。
秋宮までのまっすぐな参道!!

参道

諏訪に来る一週間前に、木曽馬籠宿に行ったばかりだったから、宿場の雰囲気が見たくて本陣を訪ねたの。
だけどね、不定休・・・悲しいかな門は閉ざされておりました。

諏訪宿

電話をしてみたんだけど誰も出ない・・・今日はお休みなのね^^;
諦めて資料館に向かいました。

つづく。

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諏訪大社の春宮です [長野]

諏訪大社、上社の本宮を出て次に向かうは下社!!
下社には春宮と秋宮があって、半年ごとに下社の御霊代はそれぞれに鎮座します。

・春宮 2月1日〜7月31日
・秋宮 8月1日〜1月31日

というわけで、わたしが諏訪大社を訪れたときは秋宮に鎮座してたのです。
下社は、諏訪湖を挟んだ北側にあるので諏訪湖を眺めつつ移動ですよー。

諏訪湖!

諏訪観光協会のサイトを見ると、諏訪湖のガイドは遊覧船やわかさぎ釣りなど一般的すぎて面白くないです。諏訪湖ってすごい湖なんだよ!
地殻の断層運動によって発生した構造湖だから時代もめちゃめちゃ古くて、古代湖の一つで世界的に見ても貴重だと思うんだけどなあ。そういうところアピールしないのかしら?
そんな情報、普通は興味ないのか?(笑)

オジサンが釣りをする

この日はとっても良い天気。空の色がそのまま湖に映るよ。
この諏訪湖には、約1万年前の縄文時代草創期の遺跡が眠っているのに・・・そういうのアピールすればいいのに・・・古代好きの人は食いつくと思うのに(しつこい)

美しい

私はこの湖底に眠る遺跡に思いを馳せて、諏訪大社の下社・春宮に行きました。
春宮の鳥居前にあった下馬橋です。皇室の方もここで馬や車をおりて参拝した名残かな。

じゃじゃーん

春宮の鳥居は重厚な雰囲気を感じました。
この下社は朝廷主導のもと造営されたと言われているので、上社よりも立派なように感じてしまいます(笑)

がっつりです

手前に見えるのは神楽殿。その奥に立派な唐破風を持った幣拝殿がありますよ。

しっとり

見事だわー。上社よりも凝ってるよね。
この春宮そして秋宮が造営されるとき、諏訪を二分して氏子の半分を下社側に割譲なさいという命令(?)が出たとか。諏訪の力を弱めようとしていたのかしらね?

勢力を弱めるのね

でもこの幣拝殿の雰囲気、落ち着いていて私は好きでした。

横からパチリ

こちらが、下社・春宮の御柱。
あれ?

これです

上社の御柱には御幣 (ごへい)というか大麻 (おおぬさ) があったのに、こっちには無いのね。ちなみに、上社の御柱の先端に付いていたコレのことです。

ふさふさ

参拝者の頭上で振ってお祓いをするものが上社の御柱には付いていて、下社にはないの。うーん、怪しい!神に捧げるものでもあるんだよねー。

上社と下社の違いは他にもあります。
神紋にも違いがあるんだよ。

上社 下社

梶の葉紋。上社は根が4つ、下社は5つ。
この神紋は平安の頃からと言われてるようなのですが、この違いも知ってる人がいたら教えてください。

私の勝手な解釈は、下社の真ん中を貫くような根は、古典的な神社建築において必要条件となっている心御柱 (しんのみはしら) なのかなーなんて(^ω^*
上社がもっともっと原始的な流れをもつとすれば、 「本殿に心御柱」 という概念もないかなって、ちょっと思っちゃったのでした。

さて、次は諏訪大社の最後の宮、秋宮に行くのですが・・・その前に浮島神社に寄りつつ、万治の石仏も見てみよう!

浮島神社

諏訪大社下社の末社である浮島社。砥川が大きく蛇行しているところにあるみたい。
御祭神は祓戸大神 (はらえどのおおかみ) で、その名の通り祓を司どる神さまです。

砥川は、とっても澄んでいて綺麗でした。
小さい写真では分からないねww

気持ちよい

清々しい気分になりましたよー。

けっこうな流れ

そして万治の石仏です。
春宮に石の鳥居を造ろうとして、ノミを入れたら石から血が出たんだって。石工たちは恐くなって仕事をやめてしまったそうな。
その夜、石工の夢枕に上原山に良い石材があるとお告げがあって、そこから良材を見つけて、無事に石の鳥居は完成したんだって。

こちらが石仏

石工たちは、傷口から血が出た石に阿弥陀様を祀って記念としたんだそうな。

次回は下社の秋宮です。
つづく。
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諏訪大社の本宮です [長野]

諏訪ドライブ。諏訪大社の上社本宮に来ました。

明治維新前は、こんなに広い敷地だったようです。神仏分離令によって取り壊されたお寺関係が赤色の部分なのだ。現在は右側のわずかな敷地を残すのみなのですが、それでもじゅうぶん広かったので、お寺もあった頃は相当広かったんだなーって実感です。

かなしいねえ

東の参道から入ります。この橋は御柱進入路にもなっているんだとか。

すごいねえ

さっそく私たちも敷地内にお邪魔します。
こちらの本宮も、前宮と同じく御祭神はタケミナカタと、その妃であるヤサカトメノ神になっています。

おじゃまします

鳥居をくぐってすぐに見える布橋門。
ここには本宮二の御柱がありました。

ここからスタート!

布橋と呼ばれる渡り廊下のようなものを通って参拝所へ行きますよ。

てくてく

布橋からは絵馬堂や摂末社の遙拝所を見ることが出来ます。
最初に行った前宮と比べると、神社らしい感じがするよね。前宮はどことなく縄文色が強かったようにも感じます。

ふむふむ

橋を渡ると目に入ってきた本宮一の御柱。

御柱

そして参拝所がありました。こちらにもあるのは拝殿だけで、本殿はありません。
奥に広がる木立が神域で、実はこの拝殿の向かって右に神体山があります。以前はちゃんと神体山のほうを向くように拝殿があったようなのですが、いつしか90度方角が変わったそうな。

なぜ?

もともとは前宮だけだったけど、何らかの理由でこの本宮が造営されました。そしてそのあと、朝廷の主導の下、春宮と秋宮が造られたのです。

まだ朝早かったので、宝物殿も授与所も開いてません。いったん別の場所を見学してから、ふたたび本宮に戻ってきて、宝物殿を見ました。いやー、やっぱり他の神社とはチョット毛色の違うものが展示されておりますよ(笑)

そのなかの一つ。コチラを授与所で受けて参りました。
鹿食免&鹿食箸です。

じゃじゃーん

いかにも狩猟をしていた土地だという感じでしょ^^
狩猟を忌み嫌う時代になっても、お諏訪さまからこの神符を授かった人は、鹿肉を食べても許されたのです。

ありがたい

私も肉を食べるからね。こちらの神符とお箸があればもう大丈夫です。
肉は生きていく上で必要なものだって思うもん。命に感謝して、これからもいただきますよ。

コロル2世をパチリしてる所も撮られつつ、本宮をあとにします。

メイキングシーン

本宮周辺に信玄公墓碑があるというので、探したのですが見つからなかったわ。

あれれー

タケミナカタは軍神として多くの武将に崇められていたのです。出雲の国譲りで負けて諏訪に逃げてきたと古事記では描かれているのに、軍神というのはチョット不思議。もともとはそんな疑問から、いろいろ調べていったのでした。

「タケミナカタ」とカタカナで書いていたのには理由があって、古事記では建御名方神と書かれてるけど、他の文献では南方刀美神などの記載があります。南方から来たのだってことが表されているようです。

この人物、出雲で領土を持っていたけど、事代主命に領土を取られて出雲を追放されたようです。ちなみに、事代主命は古事記ではタケミナカタと兄弟にされているんだよ。国譲りのときアマテラスから派遣された神に抵抗せず従い、海に消えた神様として描かれます。

出雲を追放され、諏訪にやってきたタケミナカタは、砂鉄を使った製鉄技術を持っていたんだそうな。そしてもともと諏訪に居た洩矢一族は、褐鉄鉱を使用した原始的な製鉄技術だったので、タケミナカタ一族に権力を奪われたみたい。
( 洩矢一族はタケミナカタと同盟を結んで、諏訪湖東岸と霧ヶ峰一帯を支配していた武居大物主一族に迫ったという説もある )

製鉄の技術があれば農具も武器もより良いものが作れるもんね。そんなことで軍神ともなっていったのかなーなんて思いました。騎馬の技術もあったようです。

このあとは諏訪湖を眺めつつ、下社の春宮に行ったんだけど、長くなっちゃったから次回の記事にします。

※ ブログに書いた話は、いろいろある説のうちの一つです m(_ _)m
そして、スピリチュアルな面よりも、神話などに書かれるに至った歴史に興味があるので、神様に対して失礼なことを書いてるかもしれません。ゴメンナサイ!


あお

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諏訪大社の前宮です [長野]

日本は大陸から稲作の技術 & 文化が入ってきて、主に九州からどんどん広がっていきました。そして縄文時代から弥生時代に移行していきます。
でもね、長野のこのあたりは弥生文化がなかなか受け入れられなかった土地。弥生文化はこの地域を飛び越して青森のほうに広がっていきました。

あおくん

北海道はね、寒冷地だから稲作文化にはならずに、縄文時代のあとも続縄文時代が続くわけなんだけど、まるで新しい文化を拒むようにそびえる南アルプスがあるこの地域も、縄文色の濃い文化が残ったのです。

神話はもちろんだけど、考古学的にも私にとっては、なかなか興味のある場所が諏訪なのでした(^ω^)

諏訪大社

朝。日の出と共に諏訪大社に到着!!
諏訪大社は二社四宮の総称。諏訪湖をはさんで上社に 2 宮、下社に 2 宮あります。

気持ちいい

上社には前宮と本宮があって、下社には春宮と秋宮があるの。
まずは前宮に来ました。諏訪大社 4 宮のなかで一番古いのが此処。創建年は不明だけど、およそ1500〜2000年前と言われています。

清めるよ
【手水舎で清めるよ】

この前宮に祀られている神様はタケミナカタと、その妃であるヤサカトメノ神。このタケミナカタが諏訪に来る前に祀られていた土着の神さま、洩矢神と戦って勝ち、この前宮に居を構えたんだそうな。
タケミナカタは、諏訪地方では 「諏訪明神」 「お諏訪さま」 って言われてます。

おじゃまします
【二つ目の鳥居。ちなみに狛犬は平成に入って追加されたようですw】

出雲からやってきたタケミナカタ一族との戦いに負けた洩矢 (モレヤ、または守矢) 神だけど、滅ぼされることはなく、諏訪明神を祀って祭司をつかさどる神長官になりました。

そして諏訪明神 (タケミナカタのこと)の子孫である諏訪氏は、幼児を大祝 (おおほうり) という生き神様の位に就けて、洩矢神の子孫である守矢家は神官の位に就いたんだそうな。当時、実権は守矢家にあったって感じかな?

現在の守矢家の当主は78代目です。

2つ目の鳥居をくぐって石段を上ると右側に見えるのが内御玉殿 (うちみたまでん) で、左手に見える十間廊 (じっけんろう) です。

こっちが内御玉殿。
諏訪明神の幸御霊・奇御霊 (平和的な魂と荒ぶる魂って感じかな) を祀ってるんだそうな。神事のときは、この扉を開かせて生き神となった幼子の大祝が現れたんだとか。

内御玉殿

そして、こちらが十間廊。
ココには神事の貢ぎ物が並べられるんだけど、そのなかには鹿や猪の首 75 頭もあるのです。それは御頭祭 (おんとうさい) って言います。

想像しましょう

今現在は剥製を何個か使うだけみたいだけど、昔はここに首が並んだんだよ。
諏訪明神 (タケミナカタ) がそれを望んだのか、それともタケミナカタが来る前からそういう祀りごとがあったのか、どうなんだろうね?

これに関するいろんな人の考察読んだけど、「うん!コレ!」 っては言えませんでした(笑)
私には難しすぎる^^;

なぞです

ただ、前宮の祭神は本当は諏訪土着の神である「ミシャグチ神」 ではないかと言われてます。
霧ヶ峰高原あたりは昔、御射山と呼ばれていて、それがミシャグチになったとか。ここらへんの遺跡は旧石器時代のものあって、歴史は相当古いみたい。ミシャグチ神は蛇形の御体のようで、この御室社は半地下になっていて、大祝や神官が穴籠もりをした遺跡地のようです。

ここです

十間廊を過ぎると石段が切れてました。
諏訪大社は本殿を持たないから、こっから守屋山を拝むのか??
あれー、でも御柱が立ってないし・・・と不思議に思っていたら、この階段を登りきったさきに、まだ道は続いてました(笑)

びっくりしたー

曳行路と呼ばれる道 (御柱を曳きまわす道だね) を歩いて行くと・・・拝殿がありました!
本殿と書かれている本などもあるんだけど、あくまでも拝殿なのです。諏訪大社に本殿はないのよ。

じゃじゃーん

この社を囲むように御柱が立ちます。

御柱

こんなふうに写真で見ると、普通に立ってる木だよね。
これを御柱祭で二社四宮の分、合計 16 本!神域から運んでくるんだから凄いよね。それぞれの地区の社の御柱も用意するわけだし、それに注ぐ地元の人のエネルギーは凄いと思う。

これが二の御柱

前宮の雰囲気、とっても良かったです。
日の光が優しくて、穏やかに気分になれました。

コロルもうっとり

ちなみに紋はこちら。
同じ諏訪大社なのにもかかわらず、下社とは違うんだよww

上社

どう違うかは、下社のときに紹介します。

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