九州旅行:長崎 軍艦島上陸クルーズ [長崎]
軍艦島。
戦艦 「土佐」 に似ているから言われるようになったらしいですが、本当の名前は端島(はしま)と言います。海底炭鉱によって栄えた島ですが、閉山し現在は無人島です。
軍艦島のクルーズは何社かあって、出航時間が違うので自分たちの予定に合うものを選べると思います。今回私たちが選んだ船会社は「やまさ海運」というところ。実は島酔潜人さんも同じ会社を利用して軍艦島に上陸していたので、事前にブログでチェックさせてもらってました^^
乗り込んだ船は「マルベージャ3」
軍艦島上陸周遊コースの所要時間は約 150 分で、そのうち上陸している時間は60 分。あとは島を周遊して帰ってくるというものでした。
本当は右側の席に座りたかったのですが、私たちの到着が遅かったので既に席はなく、左側の席に座りました。このコースは右側が良いらしいので、帰りは絶対右側にするぞ!(笑)
竜馬伝で使われた船もありました。
船内はこんな感じです。
首から下げるカードを貰うと、テンションも上がりますね♪
今日は上陸できるとのこと。前日は波が高くてダメだったんだってー。
1810年頃に石炭が発見された端島。当初は佐賀藩が小規模な採炭を行っていたそうですが、1890年に三菱が経営を開始して本格的に操業されたんだって。閉山は1974年。
無事上陸しました。やはり寒いです!(笑)
(軍艦島全体の写真は、帰りの船からたっぷり撮りましたので、のちほど。)
最初に目に飛び込んできたのはこの風景!
は・・・廃墟だーーーー!
もう誰もいない、崩れた建物が眼前に迫ってくるような迫力でした。
ここにかつて5,300人もの人が居て生活していたなんて思えない(@_@;;
(人口密度は当時の東京都の9倍だって!)
軍艦島では、見学ポイントが3箇所設けられていて、私たちはまず第一ポイントでコチラのおじいさんから説明を受けました。
目の前にみえる白い建物は端島小中学校。
数年前の台風で上の階が持っていかれて崩れちゃったそうな。
台風のときは建物を越える波が来るんだとか。
想像するだけで怖いです。
三菱が大事だったのは作業場の方!
波が思いっきり来る方には、作業者たちの住居があって、そこで波を食い止めていたとか^^;
晴れているのに雨が降ってるぞ?と思うと、実は波が吹き込んでいたということもあったそうです。
この島は最初は今の島の大きさの 1/3 程度だったそうな。それを 6 回にわたって埋め立てる形で護岸堤防の拡張を繰り返して今の島の形状になったんだって。まさに人工物!
人間によって造られたものは、人間が居なくなってメンテナンスされなくなると、あっという間に風化していくんだなって感じました。
いつか人類が居なくなった時の地球を想像しちゃうよね。
東京なんて、あーーーっというまに廃墟だよ!(笑)
こちらは第2見学広場です。背後にある煉瓦色の建物は総合事務所。
炭鉱マンのための共同浴場があったとのこと。浴槽はいつも真っ黒だったそうな。
個人の家には浴室はなくて、幹部用の住居にだけ専用のお風呂が付いていたんだって−。
左側の建物。屋上部分に突起があるのは、建て増しが出来るようにしていたからみたいです。
6畳の部屋がズラーっと並んでいるのが分かります。
労働者のお家は6畳だったんだって!子供が多いうちは押入れで寝させていたとか(笑)
かつてはこの階段をいろんな人が上り下りして、賑やかだっただろうなー。
ここでの生活が終わって、別の炭鉱に行った人。違う職を選んだ人。
今はどんな暮らしをしているのかなあ?
説明が一通り終わり、他の人は思い思いにシャッターを切っていました。
でも私たちはサクっと船に戻りますよ!
だってテラス席の右側を確保しなくちゃね♪
船上から、軍艦島の全体像をたっぷり撮るぞー!
つづく。
戦艦 「土佐」 に似ているから言われるようになったらしいですが、本当の名前は端島(はしま)と言います。海底炭鉱によって栄えた島ですが、閉山し現在は無人島です。
軍艦島のクルーズは何社かあって、出航時間が違うので自分たちの予定に合うものを選べると思います。今回私たちが選んだ船会社は「やまさ海運」というところ。実は島酔潜人さんも同じ会社を利用して軍艦島に上陸していたので、事前にブログでチェックさせてもらってました^^
乗り込んだ船は「マルベージャ3」
軍艦島上陸周遊コースの所要時間は約 150 分で、そのうち上陸している時間は60 分。あとは島を周遊して帰ってくるというものでした。
本当は右側の席に座りたかったのですが、私たちの到着が遅かったので既に席はなく、左側の席に座りました。このコースは右側が良いらしいので、帰りは絶対右側にするぞ!(笑)
竜馬伝で使われた船もありました。
船内はこんな感じです。
首から下げるカードを貰うと、テンションも上がりますね♪
今日は上陸できるとのこと。前日は波が高くてダメだったんだってー。
1810年頃に石炭が発見された端島。当初は佐賀藩が小規模な採炭を行っていたそうですが、1890年に三菱が経営を開始して本格的に操業されたんだって。閉山は1974年。
無事上陸しました。やはり寒いです!(笑)
(軍艦島全体の写真は、帰りの船からたっぷり撮りましたので、のちほど。)
最初に目に飛び込んできたのはこの風景!
は・・・廃墟だーーーー!
もう誰もいない、崩れた建物が眼前に迫ってくるような迫力でした。
ここにかつて5,300人もの人が居て生活していたなんて思えない(@_@;;
(人口密度は当時の東京都の9倍だって!)
軍艦島では、見学ポイントが3箇所設けられていて、私たちはまず第一ポイントでコチラのおじいさんから説明を受けました。
目の前にみえる白い建物は端島小中学校。
数年前の台風で上の階が持っていかれて崩れちゃったそうな。
台風のときは建物を越える波が来るんだとか。
想像するだけで怖いです。
三菱が大事だったのは作業場の方!
波が思いっきり来る方には、作業者たちの住居があって、そこで波を食い止めていたとか^^;
晴れているのに雨が降ってるぞ?と思うと、実は波が吹き込んでいたということもあったそうです。
この島は最初は今の島の大きさの 1/3 程度だったそうな。それを 6 回にわたって埋め立てる形で護岸堤防の拡張を繰り返して今の島の形状になったんだって。まさに人工物!
人間によって造られたものは、人間が居なくなってメンテナンスされなくなると、あっという間に風化していくんだなって感じました。
いつか人類が居なくなった時の地球を想像しちゃうよね。
東京なんて、あーーーっというまに廃墟だよ!(笑)
こちらは第2見学広場です。背後にある煉瓦色の建物は総合事務所。
炭鉱マンのための共同浴場があったとのこと。浴槽はいつも真っ黒だったそうな。
個人の家には浴室はなくて、幹部用の住居にだけ専用のお風呂が付いていたんだって−。
左側の建物。屋上部分に突起があるのは、建て増しが出来るようにしていたからみたいです。
6畳の部屋がズラーっと並んでいるのが分かります。
労働者のお家は6畳だったんだって!子供が多いうちは押入れで寝させていたとか(笑)
かつてはこの階段をいろんな人が上り下りして、賑やかだっただろうなー。
ここでの生活が終わって、別の炭鉱に行った人。違う職を選んだ人。
今はどんな暮らしをしているのかなあ?
説明が一通り終わり、他の人は思い思いにシャッターを切っていました。
でも私たちはサクっと船に戻りますよ!
だってテラス席の右側を確保しなくちゃね♪
船上から、軍艦島の全体像をたっぷり撮るぞー!
つづく。
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