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東大寺の大仏サマは天皇の祈りだったんだよ [奈良]

浄瑠璃寺をあとにして、次に向かったのは春日大社周辺。
まずは駐車場を探さなくちゃいけないのですが・・・紅葉シーズン & 奈良の正倉院展!が会期中だったのです。

ホントはね、2泊旅行の予定だったから・・・正倉院展も見るはずだったの。
でも父親の叙勲があってね・・・手伝わなくちゃいけないから展覧会は断念したのです・・・

ちょっと離れた町営の駐車場が空いていたので、其処に車を停めて奈良公園周辺まで歩いてきました。

浮見

浮見堂・・・今から11年前に母親と来た奈良旅行。そのときは人力車に乗ってこの景色を見たなー(笑)

ほんっとに鹿がたくさんだなって、相方君は楽しそうに写真をパチパチ。
「どの子もうみちゃんに見えてくる〜」 って笑ってましたw

これは私が撮った

鹿いっぱい

ずいずい

南大門が見えてきたよ。東大寺にも寄って行くことにしようかね。

おじゃましますー

それにしてもさすが東大寺!凄い人だ!
遥か昔に来て、記憶にないから行きたいと言った相方君は、すぐに後悔したようです(笑)

わっはっはw

「こんなメジャーな観光スポットは、リュカの旅じゃない!もっとマイナーな所じゃないとダメだー」 って。行きたいと言ったのは相方君なので、我慢してくださいww

どもどもー

お久しぶりです。盧舎那大仏さま。

優しいお顔

あまりにも有名な東大寺なので、書くまでもないかもしれないけど・・・
743年に、聖武天皇が盧舎那仏造立の勅願を発布したのです。
当時、飢饉や地震、天災による凶作、天然痘の流行もあって死ぬ人が多かったから、国家を守るために、より力のある仏様を望んだようです。

りりしい

盧舎那仏という名前は、宇宙の真理を体得した釈迦如来の別名なのだ。
世界を照らす仏・光り輝く仏の意味なんだそうです。それを国家プロジェクトとして願うほど厳しかった当時に思いを馳せている人たちは、今はきっと居ないだろうけどね(笑)

何を思う?

この盧舎那仏は、戦国時代に炎上。
本堂はもちろんのこと、仏様の上半身も溶けて崩れました。
野ざらしになった大仏さま。その後江戸時代に、公慶さんという僧が7年かけて再建資金を集めて、大仏さんを直したのです。この苦労話も涙なしには語れない(笑)

盧舎那仏につかえる如意輪観音菩薩。

右手

こちらは虚空菩薩。

左手

参拝を終えて、鏡池を見ながら東大寺ミュージアムに向かいます。

池の様子

東大寺ミュージアムでは、「東大寺の歴史と美術展」 として、8世紀の奈良時代から始まり、時代ごとに生み出された彫刻などの芸術作品を展示してました。

お腹すいた~

8世紀の金銅八角燈籠火袋羽目板は綺麗だったなー(^-^)

小腹も空いたので、肉まんや押し寿司を買って、つまみながら春日大社を目指します。
溝から覗いてる鹿(笑)

じーーー

あおくん

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