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住吉大社は荘厳でした [大阪]

ここは大阪、住吉大社。
全国にある住吉神社の総本社。大阪に行く機会があったら是非とも訪れたい場所のひとつでした。今回は神様のお話なので興味のない人はスルーしてね^^

嬉しい

国宝の本殿は 4 棟あるのですが、並び方がとても変わっているのです。
境内に入ると、とても清々しい空気を感じます。あー、素敵なところだなあ。

美しい

天気も良くて、主祭神たちに歓迎されてる気分になったよ^^

美しい

ここに祀られている主祭神は四柱おります。
むかしむかし、イザナギとイザナミふたりの神様が居ました。二人の間にはたくさんの神様が生まれたけど、火の神を産んだときにイザナミは死んでしまいました。
イザナギは悲しんで、黄泉の国に妻を迎えに行ったのですが、イザナミはもう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、蛆だらけ。イザナギは必死に逃げて黄泉の国から帰ってきました。

そのときに穢れを受けてしまったので禊ぎをします。
禊ぎをしたときにイザナギからは、これまたたくさんの神様が誕生します。アマテラスや、スサノオなんかも、そのときに誕生しているよ。

海の神様たち(わだつみ)と一緒に誕生したのが、三柱の神様。
それが住吉大社のご祭神です。

底筒男命 (そこつつの おのみこと)
中筒男命 (なかつつの おのみこと)
表筒男命 (うわつつの おのみこと)

舌を噛みそうな名前だけどねww
そしてもうひとり、実在の女性がご祭神として加わります。その名は神功(じんぐう)皇后。

住吉三神 (住吉大神という) の加護を受け、新羅遠征に赴いた女傑。第十四代の仲哀天皇の奥様です。とある神託に従わず、急死してしまった夫のかわりに、妊婦だったにも関わらず筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵しました。そして無事に帰国。そのときお腹のなかにいた赤ちゃんが応神天皇です。

神功皇后は住吉大神に感謝し、この地に祀り、そして自分も此処に祀られることになったのでした・・・というのが一般的な由来です。

まずはご挨拶をしなくちゃね。
住吉大社の手水舎はウサギさんなのです。写真はちょっと見づらくなってしまったね。
神功皇后が住吉大神を祀ったのが、辛卯の年(211)の卯月・卯日だとされているからなのです。

ウサギちゃん

失礼のないように門をくぐるよー。

おじゃまします

思わず「わー」と声を出してしまいました。
本当に素敵な本殿です。檜皮葺 (ひわだぶき) で切妻造りの屋根が美しい。本殿の構造は住吉造と言います。神明造&大社造と並んで日本最古の神社建築様式だよ。

いいねー

こういう神社の建物好きだなあ~。アニミスムの頃の神道では本殿は存在してなかったけど、こうやって人間によって造られた神様を祀る本殿、好きです。

どうですか

ちなみに、本殿4棟はこんなふうに並んでいます。第一から第三までは直列、そして第三と第四が並列に並ぶ珍しい配置なのだ。すべて西 (大阪湾) 向き。当時は住吉大社ぎりぎりのところまで海だったんだよ。

honden_map.jpg
【上記地図は、住吉大社のHPより】

「はじめまして。神様のこといろいろ調べさせてください」とご挨拶。ついでに、お礼参りに来られないから、いつもは旅先で神様に願い事はしないのだけど、翌日の天気予報が雨だったので「この旅行が楽しいものになりますように」とお願いしちゃいました。おかげで所々曇りだったけど、傘が必要なかったのは住吉大神のおかげか、はたまたいつもの晴れ女(稲荷神のご加護)だったからなのか、それは謎ですw

さて。本殿のこの配置。オリオン座の三つ星だという説があります。
その根拠が、もともと此処の地域一帯をおさめていた「津守」という一族が海人族だったから。しかも、長い航海をすることが出来る航海技術を持っていた一族。星を読んで方角を知ることができる一族だからです。

住吉大神の名前に「筒」というのがあるけど、これは古来「星」という意味を表したと言われてます。ちなみに、神功皇后の「自分も住吉大神とともに祀られたい」という願いを叶えたのが津守氏(津守宿禰)なのでした。津守氏は住吉大社の奉斎氏族です。

どうして津守一族は自分たちの土地を住吉大社のために献上したのかなぁ。神功皇后は何故ここに住吉大社を築こうとしたのかなぁ。出雲の国譲りや伊勢神宮のときもそうだけど、はじめから天皇一族の土地というのは無くて(高天原からの天孫降臨だから当然なんだけど)、必ず土着の一族から土地を献上されてるよね。献上したのか、献上させられたのか、というのを考えるのが楽しくて好き(笑)

「筒」=「星」= 朝廷に嫌われていた海神、不吉、という意味もあります。
「つつがなく」という言葉は「筒がなく」が語源という説もあるよ。

この土地は海の近く。航海に出るにはもってこいの場所。いろいろありそうです ^m^
ちなみに遣唐使船は一貫して住吉の津(港)から出港・入港していて、659年には住吉大社の神主である津守連吉祥も副使として乗り込んでるよ。

本殿の並びはオリオン座の他に、船が出航するときの配置を模したものだという説もあります。

この住吉大社の境内に摂社として、津守一族の氏神さまを祀る神社があるので、そっちにも参拝します。その前に、境内のウサギさんをなでなで。悪いところを撫でると良いそうなので、頭をしっかり撫でました。賢くなりますように!

なでなでーー

向かったのは「大海(たいかい)神社」です。

来たかったのです

場所はここ ↓ になります。

地図

大海神社の現在のご祭神は、豊玉彦命 (とよたまひこの みこと) と、豊玉姫命 (とよたまひめの みこと) です。津守氏人神。

どうしても訪れたかった大海神社。とっても静かな空間で気に入りました。
豊玉姫命と言えば、古事記の「山幸彦&海幸彦」に出てくる海の神様。このへんの神話も人間くさくて面白いです。

境内には可愛い参拝客が訪れた痕跡がありますよ。
ほら。

猫の足跡

乾ききる前のコンクリートに足を付けちゃって、猫ちゃんはビックリしただろうなあ(笑)
大きい足跡と小さい足跡。親子だったのかもしれないねww

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仲哀天皇が急死する要因になった神託のことや、身重だった神功皇后のことを書くとブログが終わらないので割愛します(笑)
興味があったら調べてみてね^^

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