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四天王寺はお寺なのか? [大阪]

四天王寺は、ずっとずっと来たかったお寺です。
20 代の頃に夢中で読んだ梅原猛。そのなかの有名な著書「隠された十字架」で、聖徳太子は怨霊になり、法隆寺は怨霊を鎮めるために建てられたという考えを知りました。

確かに不思議だったのです。
聖徳太子は父も母も蘇我氏の血筋なのに、何故に聖徳太子の子孫は蘇我氏によって滅ぼされたのか。古代では権力争いで兄弟や子供も殺すことはあるけど、子孫すべてを殺すのはチョット異常じゃない?

そして四天王寺に鳥居があるのは何故?

どーん

今の時代の私たちなら、仏教が日本に入ってきて、やがて日本の神様と習合したことを知っているので、お寺を守るための神社が存在して、お寺の境内に神社があることもさほど不思議ではないよね。
でも四天王寺は聖徳太子が建立した、日本仏法最初の官寺。これから仏教を広めるぞってときに、こんな大きな鳥居を立てたのは何故?

本堂と五重塔

この鳥居、現在のは鎌倉時代に建てられたもののようですが、鳥居そのものは四天王寺が創建された当時からあったんだそうです。木造の鳥居だったと、確かに四天王寺のパンフレットにも記載されてました。
じつは四天王寺は寺ではないのではないか?という本を読んでしまったので、好奇心を刺激されたのでした^^

まずは金堂にお参りです。
一般に云われている四天王寺創建の由来は、排仏派の物部氏との戦いの時、形勢が不利だった蘇我氏一派の聖徳太子は「もしこの戦いに勝てたら四天王を安置する寺院を建立する」と願ったのだそうです。するとその願いは叶い、蘇我氏の勝利。

おじゃまします

仏教界では、さほど位の高くない四天王を安置するのは不思議だ。これから仏教を広めるなら、如来に祈るのが自然ではないか?と疑問を持っている本もありました。まぁ、わたしは戦ってるのだから四天王でも良いんじゃないかな?と思ったのですが・・・

金堂の中に安置されていた四天王。とても戦いの姿じゃないの!
そうか、わたしが思い描く四天王像は、鎌倉時代の運慶が作った筋骨隆々の四天王像。でもこの時代は飛鳥時代。ご本尊の救世観世音菩薩を囲むように立つ四天王は、学者風の穏やかな表情でビックリしました。
(あとで調べてみたら現在の四天王像は明治生まれの松久朋琳の作なんだとか。でもパンフレットによると、金堂そのものも、推古天皇元年の創建当初の姿で再現と書いてあるので、像も当時と掛け離れた姿にはなっていないと思う)

写真がないのが残念

カルチャーショックを受けつつも、五重塔に向かいます。どうやら中に入れるようなので何気なく入ったら、最上階まで細い螺旋階段が続いてました。この上り下りでガクガクになった足が、旅行中に筋肉痛になり、旅先で階段を上るたびに「ひーーー」と叫ぶハメになったのでした(笑)

宝物館も勿論入ります。
現在は鐘堂の改修工事がおこなわれていて、鐘堂に関する資料なども展示されていました。そして四天王寺で来たかった場所が、この宝物館の隣にあるのです。

じゃじゃーん

その名も、牛王尊。
京都に住んでる人だとピンと来る人も多いのではないかしら。牛王と言えば牛頭天王。祇園信仰の対象、スサノオノミコトと同一視されてる神です。

来たかったの!

この牛王尊。四天王寺で一番重要な神と言われていて、この牛神様をおろそかにすると、四天王寺は滅ぶと言われているそうな。まるで法隆寺の夢殿にある救世観音菩薩立像みたい!って思っちゃった。夢殿の救世観音菩薩立像の場合は、絶対秘仏で封印を解くと天罰が下ると言われていたんだけどね。(明治時代にフェノロサによって解かれたけど)

牛王尊はスサノオ。スサノオはアマテラスの弟。黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊ぎをして生まれた神様。お寺なのに、まだ神仏習合前の時代なのにお寺の中でスサノオが大事にされているのは何故?

それからこの四天王寺が建っている土地。
ここは荒陵(アラハカ)と言われた場所。じつは物部氏の領地だったのでした。ちなみに、蘇我氏に滅ぼされた物部氏の生き残りは各地に散っていったんだけど、東北に逃げた物部氏たちはそこで勢力をつけるのだ。まさに朝廷からすると鬼門の方角。物部氏たちは「鬼」と呼ばれ、アラハバキになった・・・という説もあって面白いの(笑)

四天王寺と聖徳太子に見え隠れする物部氏や神の存在。
いろいろと謎を実感したので、四天王寺をあとにします。
これから続く丹後半島の旅で、聖徳太子に絡む神社が出てきますよー。

四天王寺境内には物部守屋を祀った祠もあったのに、行くの忘れた (T^T
殺された物部守屋が祀られているのが神社様式だって書いてあったから見なくちゃって思っていたんだけど・・・予習していったのは良いけど、清書して頭にまとめる時間が無かったからスッポリ抜けていたわ。悔しい。。。

四天王寺を出るときに「猫がいます」みたいな看板を発見。
そこには一つの建物が・・・え?どこが猫?

これ

よーく見ると、確かに居ました。眠り猫!
日光東照宮のような猫ちゃん発見^^

ぼやーん

この裏にはスズメも彫られているのかしら?(笑)
癒されて四天王寺を出ました^^

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現在では、聖徳太子は架空の人物だったという説もありますが、この旅では、のちに「聖徳太子」と呼ばれるようになった人物が実在したということを前提に記事を進めますね^^
いろんな説があるなかの一つとしてお楽しみください。

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