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竹野神社と巫女 [京都]

聖徳太子は、用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)の子供です。本来ならば天皇になれる身分にありながら、天皇になれなかった人物。

皇室&蘇我氏の系図を見ると・・・

どどん

画像では見づらいけど、穴穂部間人皇女のお母さんにあたる人物の血を引く者が、みんな死んでます。聖徳太子の血というよりも、小姉君(おあねのきみ)の血を引いた者が、病死したり自害したり、同じ蘇我氏の人間に暗殺されたりしてるのです。

ありゃま

この小姉君というのが何者なのか?
系図だけを見ると、蘇我稲目の子供ということになってます。じつはこの小姉君は、蘇我稲目の養女で、実際は丹後半島のまさにわたしが旅行してるあたりの土地の出身者で、物部の血筋の人間だった・・・という説を書いた本がなかなか面白かったので、覚書として記事に書いておこうと思ったのでした。

かなり突飛な話なんだけどねww
なので「ふーん」って感じで読んでくれればと思います。

やってきましたー

やってきたのは竹野神社。竹野と書いて「たかの」と読みます。ここはかぐや姫伝説があるところ。明日記事にする予定の「古代の里資料館」でも見てきたけど、此処、丹後半島は天皇の妃をよく送り出してます。丹後半島にあった丹後王国はかなり強大で、大和朝廷は統一するための融和策として、丹後出身の姫と結婚し、血縁関係を結ぶことで安定政権を保ったとも考えられています。

鳥居です

天皇になる皇子を産む女性のことを「皇女」と書くのですが、これは「ひめみこ」と読みます。「みこ」は御言。巫女。天皇の「詔(みことのり)」は、神に仕える巫女が神の言葉を宣託するのです。そしてこの竹野神社には、そんな巫女を養成するための宿舎があったそうな。そんなわけで、余談ですが卑弥呼も丹後出身のシャーマン(巫女)という説がありますが、卑弥呼丹後出身説の本はまだ読んでないので割愛。

うっそうとしてます

竹野神社のはじまりは、第9代開化天皇に嫁いだ「竹野媛」が晩年郷里に帰って「天照皇大神」を祀ったこととされます。(西暦だと紀元前のオハナシ
当然、御祭神は天照皇大神(アマテラス)・・・あれ?

狛犬がお尻をあげてるよ。じつは、こんなふうにお尻をあげてる狛犬がある神社は、出雲系の神様を祀った神社が多いのですよ。出雲式と呼ばれます。今にも飛びかかろうとしてる姿らしいのですが、猫と暮らしてると「シッポの付け根、ポンポンしてー!」と言ってるようにしか見えないw

狛犬・・・あれ?

なんでアマテラスさんを祀ってるのに出雲系なんだ?
そういえば、元伊勢籠神社にもお尻をあげた狛犬があったな・・・出雲系だと大国主命やスサノオさんだよ。あ、聖徳太子が建立した四天王寺にも牛頭さん(スサノオ)を祀ったところがあるぞ・・・じつは隠された神様がいる?なんて思って、帰ってきてから調べたら居るみたい。でもそれはまたどこかで機会があればまとめようかな。

出雲系

狛犬さんにご挨拶をしてから、いよいよ境内へ。竹野神社の巫女の話に戻ります。
竹野神社の御祭神は天照皇大神さんです。そして竹野媛は斎王(いつきのみこ)としての役割を持っていました。斎王とは天皇にかわってアマテラスさんの神意を受ける依り代のこと。その斎王になれるのは斎女で、巫女の中でも高級官僚の巫女なのです。そんな巫女を輩出する竹野神社出身のひとりが、聖徳太子の祖母である小姉君かも?というオハナシ。

拝殿

蘇我氏はそれまで物部氏に比べると決して位の高い豪族ではなかったのに、天皇と血縁関係を結び、力を付けられたのは竹野媛の血統を持つ娘を養女として迎え、天皇の妃に出来たからではないか?と、読んだ本には書いてありました。
その説の理由なども細かく書いてありましたが、ブログに書くと長くなるのでやめますね。

まぁ、そもそもなんでスーパーエリート巫女を輩出する血筋の者が蘇我氏と関係を結んだのかが分からなくて、そこが納得いかないんだけどね。

歴史を感じます

では、竹野媛の血統とはなんぞや?
竹野媛は丹波国大県主由碁理(ゆごり)の娘と由緒書にあります。この丹波国大県主というのは、元伊勢籠神社の関係者の話だと、海部氏のことなんだそうです。竹野媛は丹波国大県主の家系から出て、それは海部の祝部(ほうりべ と読みます。祭祀に従事した神職のひとつです)であり、聖徳太子の祖母は海部の祝部の娘だったというのです。

境内からみたところ

蘇我氏は、この血を利用し、そして同時に恐れました。
蘇我馬子にしてみたら、聖徳太子が天皇になったら海部の血を引き継ぐ者が天皇になってしまい、蘇我氏の血は入らない!
それで、天皇と血縁関係がしっかり出来たのち、聖徳太子の祖母である小姉君の血を持つ者を排除したのだというオハナシでした。ちなみに海部氏の分家が、物部氏や尾張氏なんだとか。

疑問を持つ箇所はいくつもあったけど、こういうオハナシも面白いなとは思いました。一世を風靡した蘇我氏も、中臣氏(のちの藤原氏)に滅ぼされ、中臣氏が中心となって作られた記紀には、極悪な蘇我氏として書かれるわけで、その時代時代の思惑などを妄想するのは楽しいわ(笑)

奥が深いです。丹後半島。
今後謎なのが、竹野媛となる女性は「熊野郡市場村」に生まれるらしく、現在、京都府に熊野郡というのは存在しないのですが、「熊野」ってところが気になるのだ。熊野ならスサノオさんが出てくるからねー。

というわけで、旅行記はもうすぐ終わるけど、わたしの丹後半島歴史調べは今後も続きそうです(笑)

あおくん

******
いったいどんな本を読んだのさ!と気になった方はこちらをどうそ。
他の本も読んでるけど、とりあえずこの 1 冊が元ネタになっております(笑)

聖徳太子 四天王寺の暗号―痕跡・伝承・地名・由緒が語る歴史の真実

聖徳太子 四天王寺の暗号―痕跡・伝承・地名・由緒が語る歴史の真実

  • 作者: 中山 市朗
  • 出版社/メーカー: ハート出版
  • 発売日: 2013/03/01
  • メディア: 単行本


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