奄美大島:奄美パークで田中一村の作品を堪能! [鹿児島]
奄美空港のすぐ近くにある奄美パークにやってきました。
奄美の自然、文化、歴史を紹介している総合展示ホールでは、奄美の集落をモデルにした展示がされていました。
私が此処で楽しみにしていたのは、田中一村記念美術館なので、そっちをメインに堪能します。
田中一村 (いっそん) 、明治41年 (1908) 栃木県生まれの日本画家です。
私がこの画家を知ったのは島酔さんのブログが最初。大島紬を粋に着こなしている凛とした姿が印象的でした。
18歳で東京美術学校 (現在の東京芸術大学) 日本画科に入学し、将来を嘱望されながらも、病気や生活苦で、学校は2ヶ月で退学。
その後、諍いもあり、中央画壇とは離れたところで日本画を描いていくことになるのです。
館内からの眺め
東京、そして千葉寺に移り住み、貧しい暮らしをしながらもスケッチの旅をし、昭和33年、50歳の時に南の島々の自然に魅せられ、奄美大島に移住。お金がなくなると大島紬の工場などで働き、お金が少し貯まると画材を買い、また画に没頭するという暮らしをしました。
セイタカシギが居ました
食べ物は自分で作った野菜が主食。ガリガリに痩せた体で、眼力だけは本当に迫力がある一村さんの写真がパネルで飾られていました。
一度も個展が開かれることもなく、世に名前が知られることもなく、そして誰に看取られることもなく、昭和52年に69歳で生涯を終えた一村さん。
残された作品は、ここ奄美の地にあるのですよ。
さあ、真摯に画と向き合った一村さんの作品を、私もじっくり拝見いたします!って思ったとたん、ここは美術館だというのに、きゃーきゃー叫びながら走りまわる子供と、それを大声で笑って見ているお父さんとお爺さん!
「出て行けー!」 と、マジあと数秒で言いそうになりましたが、私の怒り狂った視線に気づいたらしく、お婆さんがちょっとだけ諭してフロアを出て行きましたが、それでも笑い声は響いていて不快!
いくら観光スポットとは言え美術館です!
場所をわきまえてください!!(怒)
画を描いていた時の一村さんは本当に怖くて、誰も話しかけられなかったそうですよ。
そうやって描いた一村さんに失礼です!
展覧会の内容によっては、もちろん楽しくワイワイ鑑賞するものだってある。そういうときには不快になったりはしませんよ。でも、此処は違う。
しばらくは動悸がおさまらず、怒りに震えている手を押さえつつ一村さんの作品を観てました。
でもだんだん一村さんの世界に入っていけました^^
この作品 ↓ の前に来たとき、ホロリと涙が出ました。
奄美の景色だよ。
一村さんの作品は写真っぽい構図なので、自分たちが見てきた風景が甦ってくるのです。
ああ。一村さんの作品を見るのを最終日にしていて良かったなーってしみじみ思いました。
一村さん渾身の作品、アダン
このきらめく波の色、さざ波の音。まざまざと甦ってきます。
未完の作は、未完だからこそ見えてくる一村さんの線。
本当に凄い、この人は凄い。
作品からあふれ出るパワーが、真剣さが伝わってきます。
一村さんの世界にドップリ浸かって出てきた美術館。
美術館の外には、「一村の杜」 という、彼が描いた風景をイメージした杜が作られていて、様々な奄美の植物が植えられていました。
これがアダン。一村さんの作品に出てくる果実。
田中一村の生涯を描いた映画 『アダン』 ってのがあるらしいのよね。
観たいなあ~。TSUTAYA DISCAS では見つからなかったんだ・・・
こうして奄美の旅は、田中一村で締めくくったのでした!
さあ、レンタカーを返して空港に行かなくちゃです。帰りは 14:10 奄美発のバニラエアに乗ります。
奄美の自然、文化、歴史を紹介している総合展示ホールでは、奄美の集落をモデルにした展示がされていました。
私が此処で楽しみにしていたのは、田中一村記念美術館なので、そっちをメインに堪能します。
田中一村 (いっそん) 、明治41年 (1908) 栃木県生まれの日本画家です。
私がこの画家を知ったのは島酔さんのブログが最初。大島紬を粋に着こなしている凛とした姿が印象的でした。
18歳で東京美術学校 (現在の東京芸術大学) 日本画科に入学し、将来を嘱望されながらも、病気や生活苦で、学校は2ヶ月で退学。
その後、諍いもあり、中央画壇とは離れたところで日本画を描いていくことになるのです。
館内からの眺め
東京、そして千葉寺に移り住み、貧しい暮らしをしながらもスケッチの旅をし、昭和33年、50歳の時に南の島々の自然に魅せられ、奄美大島に移住。お金がなくなると大島紬の工場などで働き、お金が少し貯まると画材を買い、また画に没頭するという暮らしをしました。
セイタカシギが居ました
食べ物は自分で作った野菜が主食。ガリガリに痩せた体で、眼力だけは本当に迫力がある一村さんの写真がパネルで飾られていました。
一度も個展が開かれることもなく、世に名前が知られることもなく、そして誰に看取られることもなく、昭和52年に69歳で生涯を終えた一村さん。
残された作品は、ここ奄美の地にあるのですよ。
さあ、真摯に画と向き合った一村さんの作品を、私もじっくり拝見いたします!って思ったとたん、ここは美術館だというのに、きゃーきゃー叫びながら走りまわる子供と、それを大声で笑って見ているお父さんとお爺さん!
「出て行けー!」 と、マジあと数秒で言いそうになりましたが、私の怒り狂った視線に気づいたらしく、お婆さんがちょっとだけ諭してフロアを出て行きましたが、それでも笑い声は響いていて不快!
いくら観光スポットとは言え美術館です!
場所をわきまえてください!!(怒)
画を描いていた時の一村さんは本当に怖くて、誰も話しかけられなかったそうですよ。
そうやって描いた一村さんに失礼です!
展覧会の内容によっては、もちろん楽しくワイワイ鑑賞するものだってある。そういうときには不快になったりはしませんよ。でも、此処は違う。
しばらくは動悸がおさまらず、怒りに震えている手を押さえつつ一村さんの作品を観てました。
でもだんだん一村さんの世界に入っていけました^^
この作品 ↓ の前に来たとき、ホロリと涙が出ました。
奄美の景色だよ。
一村さんの作品は写真っぽい構図なので、自分たちが見てきた風景が甦ってくるのです。
ああ。一村さんの作品を見るのを最終日にしていて良かったなーってしみじみ思いました。
一村さん渾身の作品、アダン
このきらめく波の色、さざ波の音。まざまざと甦ってきます。
未完の作は、未完だからこそ見えてくる一村さんの線。
本当に凄い、この人は凄い。
作品からあふれ出るパワーが、真剣さが伝わってきます。
一村さんの世界にドップリ浸かって出てきた美術館。
美術館の外には、「一村の杜」 という、彼が描いた風景をイメージした杜が作られていて、様々な奄美の植物が植えられていました。
これがアダン。一村さんの作品に出てくる果実。
田中一村の生涯を描いた映画 『アダン』 ってのがあるらしいのよね。
観たいなあ~。TSUTAYA DISCAS では見つからなかったんだ・・・
こうして奄美の旅は、田中一村で締めくくったのでした!
さあ、レンタカーを返して空港に行かなくちゃです。帰りは 14:10 奄美発のバニラエアに乗ります。
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