SSブログ

猿田彦神社と伊勢神宮の内宮です [三重]

伊勢神宮の内宮に行こうとすると、空は晴れているのに雨がパラパラ。
やばい。純粋な気持ちで向かっていないからアマテラスさんのご機嫌が悪くなっているのか?

自転車を漕いで内宮へ急ぐ・・・つもりだったのですが、途中に猿田彦神社を発見。
そっか、通り道だったんだね。それじゃアマテラスさんに会いに行く前に、猿田彦さん、雨宿りさせてくださいー!

アマテラスさんがご機嫌を損ねた雨だったのか、それとも、「おいおい、アマテラスのところよりも、まずは地元の神の私をお参りしないとダメだぞ」 と、猿田彦が足止めをしたのか、それは神のみぞ知るなのでしww

お邪魔します

普段の旅行では、ほぼ 100% 晴れ女なので傘は持ってないのです(笑)
朝、二見浦にも行ってきましたとご挨拶をしてきました。ここの猿田彦神社は猿田彦大神と、その子孫の大田命を祭神として祀ってます。

立派です!

出雲のオオクニヌシノミコトたちが造ったこの国土。これを天上界の高天原から見ていたアマテラスさんは、この土地が欲しくなっちゃいました。んで、息子のオシホミミに地上に行って支配しなさいって言うんだけど、オシホミミは「地上はひどく騒がしくて酷いから行きたくない」というようなことを言って断るのです。アマテラスさんは他の神を派遣するんだけど、それらの神はオオクニヌシに懐柔して失敗。

三度目の正直。派遣されたタケミカヅチ&フツヌシが国譲りに成功していよいよアマテラスがもう一度息子のオシホミミに地上に行きなさいって言うんだけど、オシホミミは「子供が生まれたから、この子に行かせましょう」ってやっぱり断る(笑)

というわけで、アマテラスの孫であるニニギのミコトが地上へ行くことになるのでした。

安らかにお眠り下さい

ニニギが天上から覗いてみると、地上へと続く道の真ん中に誰かが座ってます。上は天を照らし、下は葦原中つ国 (日本のこと) を照らす神様が、道を遮るように座ってるの。その神様は鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のようで頬はホオズキのように赤くて異形の姿。「ひゃー、怖いよー」と、多くの神様がビビって近づけないときに、「もう!男神は臆病ね!」(と言ったかは謎です)と登場したのがアメノウズメのミコトです。アマテラスが岩戸に隠れたときに踊った神様ね。

アメノウズメが色気を出しながら「我が御子(ニニギのこと)が天降ろうとしている道を遮るのは何者だ」と聞くと、その神は「わたしは国津神、サルタヒコです」と答えました。思うところはいろいろあるけど、記紀にはサルタヒコが道案内をするために待っていたと書かれてますー。

こちらは境内にある、佐瑠女サルメ神社。
アメノウズメのことです。

こちらにもご挨拶

猿田彦と結婚したアメノウズメ。降臨が安全だと分かったニニギのミコトはアメノウズメに「さるめの君」という名を与えたのでした。

このへんのいきさつにはとっても謎が多いなーって思います。私が古事記を読んで、少ない脳ミソで解釈出来るのは、ニニギは「猿田彦のことはアメノウズメが送れ。そのあとは、おまえがその名を名乗れ」と言ってるようにしか思えないのですよん。その後、猿田彦は海で溺れて死んでしまいます。

そしてアメノウズメは大小様々な魚を集めて、「おまえたちは天の神の御子に仕えるか」 と聞きます。魚たちは天の神に仕えると言ったけど、海鼠だけは答えなかったので、アメノウズメは怒って海鼠の口を裂いたんだって。魚っていうのは周辺の海の民だったと思うし、海鼠に喩えられた朝廷になびかなかった民は殺されたってところかな?

話がわき道に逸れました。
まあ、一般的に言われていることは、高千穂までニニギの天降りの先導を終えた後、猿田彦は伊勢の五十鈴川の川上に鎮まったのでした。鎮まった・・・つまり亡くなったということかな。

雨も小降りになったので、再び内宮を目指します。駐輪場に自転車を止めて歩きますよ。
内宮の宇治橋を渡ります!

わたります~

やっぱり格が違うなあー。めちゃめちゃ立派です。
綺麗に手入れされていて皇居の中を散歩している気分になりました。内宮の様子を心から褒めていると、雨も止んできました(笑)

すごーい

手水舎で清めようと思ったけど、五十鈴川でも清められる場所があるらしいので、そちらで^^
五十鈴川御手洗場です。本来はこの五十鈴川の水で清めてからの参拝だものね。

禊ます!

鳥居をくぐって神域にどんどん入っていきますよ。

優しい気持ちで

いよいよ御正宮でご挨拶です。ここに居るアマテラスさんは、正式な名前は天照坐皇大御神です。「坐」と「皇」って文字が入るのだ。「坐」はそこに居続ける。役目って意味もあります。そして「皇(すめら)」は王であり、統べる。

ニニギのミコトが降臨する際に、アマテラスさんは三種の神器を持たせます。そして鏡にはアマテラスさん自身の神霊を込めました。その鏡はニニギの子孫、神武天皇に伝えられ、それから代々、天皇の傍に置かれてました。

というわけで、もともとは大和朝廷があった奈良の地に、崇神天皇と一緒に居たアマテラスさん(鏡)。でもパワーが強すぎ、疫病は流行るし、アマテラスさんと一緒に祀られていた地元の神さまと一緒に居るのが不快!という神託も出て、アマテラスさんは出て行くことになったのでした。
(このへんの話は、本当にいろいろあるので、一説だけ書きました)

崇神天皇は娘のトヨスキイリ姫を御杖代 みつえしろ(神の代わりとなり奉仕する役目)として、鏡を持たせます。姫はアマテラスが落ち着ける場所を探す放浪の旅に。そして2代目のヤマト姫のときに、伊勢の五十鈴川のほとりに辿り着きます。

ヤマト姫が、ここの地を守っていた猿田彦の子孫、太田命(猿田彦神社に祀られてます)と、どんな会話をしたかは分からないけど、太田命は五十鈴川の川上の霊域を献上。こうしてこの地に神宮が創建されたのでした。
長い旅をしたアマテラスさん。それ以降この地に「坐」・・・おわします。

いよいよ!

これ以上書くと、めちゃめちゃ長くなるので(すでに長いのに)やめますが、とりあえず・・・素直な気持ちで、そして伊勢に来られたことに感謝してきます!

記念にパチリと撮ってもらいました。

ご挨拶

ここでも個人的なお願いはナシね。
長旅お疲れ様でございますと声をかけてきました。さあ、御正宮への参拝が済んだので次はまた、別宮を参拝していきましょう♪

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。