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神長官守矢資料館に来ました [長野]

諏訪大社関連の本を読んでいると必ず出て来ていた神長官守矢資料館。
諏訪大社の次に来たかった資料館です。

到着!

守矢家の敷地内に建つ資料館。独特の雰囲気でしょう。
この資料館がある茅野市で生まれ、諏訪で育った建築家、藤森照信氏の設計だそうです。諏訪の自然と中世の信仰のイメージを取り込んだモチーフだそうな。

いかにも

出雲からタケミナカタが来る前からこの土地に居た洩矢神 (守矢家はその子孫) 。この資料館では守矢家が守り語り継いできたものの一端を見ることができます。神話以前の人々の暮らしがね^^

それでも

中に入る前に、いろんなアングルから撮っちゃった建物(笑)

いざなかに

まず真っ先に目に飛び込んでくるのは、鹿と猪の剥製です。
諏訪大社、上社の前宮にあった十間廊にズラリと並べられたであろう鹿と猪の頭。御頭祭 (おんとうさい) の説明がされております。

首です

今の私たちからしてみたら、毎年 75 頭もの鹿や猪を供えるなんて残酷って思っちゃうところもあるけど、時代を遡って考えてみれば、生きるために必要なものだったと思えます。食べ残して廃棄してしまう今の世の中の方が、ずっと残酷かもしれません。

ウサギも神に捧げられていたのね。
このときの神というのは、おそらく守矢家が祀っていた洩矢神と同一と考えられているミシャグチ神と思われます。私は蛇を象徴した神だと思ってます。

串刺し

脳の和えものも。

のうみそ

御頭祭 (おんとうさい) では、75 頭の中に必ず耳が裂けた鹿が現れて、これは諏訪大社の七不思議と言われているそうな。裂けた耳を持つ鹿の剥製もあり、横には 「耳裂鹿 神の矛にかかったという」 と書かれています。

裂けてます

実際にはきっと、わざと 1 頭だけ耳を裂いた鹿を用意したと思うんだけど、ではそれは何故なのか?というのは答えは出てません。

いろんな人の本を読むなかで、ミシャグチ神は大国主命の子孫 (タケミナカタ) に殺されたことを伝えるものと書いてる人もいましたが、タケミナカタはもともとは出雲の大国主命とは無関係だっていう説を私は信じたいので、いまいち納得できない。

だけど、ミシャグチ神はタケミナカタに負け、そしてタケミナカタは鹿を眷族としている朝廷側の藤原氏の氏神に負けたことを考えると、鹿にこだわる理由もあるような無いような(笑)
うーん、わかりません!

資料館の外には祠がありました。

外の様子

洩矢一族 (守矢一族) は、タケミナカタ率いる諏訪一族に負けたけど、滅ぼされることはなかったのです。土着勢力を抹殺せず、祭祀の実権をゆだねました。縄文から弥生に移行する過程と同じだという研究者もいました。なるほど。

なぜ抹殺されなかったのか、それは守矢一族がミシャグチ神を束ねていたからなんだとか。今のような科学が発達した時代じゃないもんね。縄文時代から祀り続けられてきたミシャグチ神。荒ぶる神であり祟りをなす神のようです。縄文の人々が自然に対して抱いていた畏怖の感情が表れている神様。

その神様を祀ることができるのは、タケミナカタの諏訪一族ではなく、守矢一族だったみたい。

こんな感じでした

おどろおどろしいものではなく、自然に対する素直な祈りだったと私は思います。
今でさえ、天災には人は敵わないもの。その際、生贄を用意するのは昔はどの国も似た感じだよね。

生と死と

祠の周りには栗の木がたくさんありました。
縄文の人たちも、このあたりに自生している栗をとって食べていたんだろうなーなんて思っちゃったわ。そして木曽の馬籠宿で買った栗きんとんを思い出して食べたくなったのー(笑)

あおあおしてます

この旅から帰ってきて、ネットで栗きんとんを注文したんだもんww
さるすべりの木も、ちゃんと覚えたよ^^

可愛い花

可愛い花を付けるんだね。
神長官守矢家の敷地内の雰囲気を楽しんで、此処をあとにしました。
来て良かったーーー!

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