諏訪大社の春宮です [長野]
諏訪大社、上社の本宮を出て次に向かうは下社!!
下社には春宮と秋宮があって、半年ごとに下社の御霊代はそれぞれに鎮座します。
・春宮 2月1日〜7月31日
・秋宮 8月1日〜1月31日
というわけで、わたしが諏訪大社を訪れたときは秋宮に鎮座してたのです。
下社は、諏訪湖を挟んだ北側にあるので諏訪湖を眺めつつ移動ですよー。
諏訪観光協会のサイトを見ると、諏訪湖のガイドは遊覧船やわかさぎ釣りなど一般的すぎて面白くないです。諏訪湖ってすごい湖なんだよ!
地殻の断層運動によって発生した構造湖だから時代もめちゃめちゃ古くて、古代湖の一つで世界的に見ても貴重だと思うんだけどなあ。そういうところアピールしないのかしら?
そんな情報、普通は興味ないのか?(笑)
この日はとっても良い天気。空の色がそのまま湖に映るよ。
この諏訪湖には、約1万年前の縄文時代草創期の遺跡が眠っているのに・・・そういうのアピールすればいいのに・・・古代好きの人は食いつくと思うのに(しつこい)
私はこの湖底に眠る遺跡に思いを馳せて、諏訪大社の下社・春宮に行きました。
春宮の鳥居前にあった下馬橋です。皇室の方もここで馬や車をおりて参拝した名残かな。
春宮の鳥居は重厚な雰囲気を感じました。
この下社は朝廷主導のもと造営されたと言われているので、上社よりも立派なように感じてしまいます(笑)
手前に見えるのは神楽殿。その奥に立派な唐破風を持った幣拝殿がありますよ。
見事だわー。上社よりも凝ってるよね。
この春宮そして秋宮が造営されるとき、諏訪を二分して氏子の半分を下社側に割譲なさいという命令(?)が出たとか。諏訪の力を弱めようとしていたのかしらね?
でもこの幣拝殿の雰囲気、落ち着いていて私は好きでした。
こちらが、下社・春宮の御柱。
あれ?
上社の御柱には御幣 (ごへい)というか大麻 (おおぬさ) があったのに、こっちには無いのね。ちなみに、上社の御柱の先端に付いていたコレのことです。
参拝者の頭上で振ってお祓いをするものが上社の御柱には付いていて、下社にはないの。うーん、怪しい!神に捧げるものでもあるんだよねー。
上社と下社の違いは他にもあります。
神紋にも違いがあるんだよ。
梶の葉紋。上社は根が4つ、下社は5つ。
この神紋は平安の頃からと言われてるようなのですが、この違いも知ってる人がいたら教えてください。
私の勝手な解釈は、下社の真ん中を貫くような根は、古典的な神社建築において必要条件となっている心御柱 (しんのみはしら) なのかなーなんて(^ω^*
上社がもっともっと原始的な流れをもつとすれば、 「本殿に心御柱」 という概念もないかなって、ちょっと思っちゃったのでした。
さて、次は諏訪大社の最後の宮、秋宮に行くのですが・・・その前に浮島神社に寄りつつ、万治の石仏も見てみよう!
諏訪大社下社の末社である浮島社。砥川が大きく蛇行しているところにあるみたい。
御祭神は祓戸大神 (はらえどのおおかみ) で、その名の通り祓を司どる神さまです。
砥川は、とっても澄んでいて綺麗でした。
小さい写真では分からないねww
清々しい気分になりましたよー。
そして万治の石仏です。
春宮に石の鳥居を造ろうとして、ノミを入れたら石から血が出たんだって。石工たちは恐くなって仕事をやめてしまったそうな。
その夜、石工の夢枕に上原山に良い石材があるとお告げがあって、そこから良材を見つけて、無事に石の鳥居は完成したんだって。
石工たちは、傷口から血が出た石に阿弥陀様を祀って記念としたんだそうな。
次回は下社の秋宮です。
つづく。
下社には春宮と秋宮があって、半年ごとに下社の御霊代はそれぞれに鎮座します。
・春宮 2月1日〜7月31日
・秋宮 8月1日〜1月31日
というわけで、わたしが諏訪大社を訪れたときは秋宮に鎮座してたのです。
下社は、諏訪湖を挟んだ北側にあるので諏訪湖を眺めつつ移動ですよー。
諏訪観光協会のサイトを見ると、諏訪湖のガイドは遊覧船やわかさぎ釣りなど一般的すぎて面白くないです。諏訪湖ってすごい湖なんだよ!
地殻の断層運動によって発生した構造湖だから時代もめちゃめちゃ古くて、古代湖の一つで世界的に見ても貴重だと思うんだけどなあ。そういうところアピールしないのかしら?
そんな情報、普通は興味ないのか?(笑)
この日はとっても良い天気。空の色がそのまま湖に映るよ。
この諏訪湖には、約1万年前の縄文時代草創期の遺跡が眠っているのに・・・そういうのアピールすればいいのに・・・古代好きの人は食いつくと思うのに(しつこい)
私はこの湖底に眠る遺跡に思いを馳せて、諏訪大社の下社・春宮に行きました。
春宮の鳥居前にあった下馬橋です。皇室の方もここで馬や車をおりて参拝した名残かな。
春宮の鳥居は重厚な雰囲気を感じました。
この下社は朝廷主導のもと造営されたと言われているので、上社よりも立派なように感じてしまいます(笑)
手前に見えるのは神楽殿。その奥に立派な唐破風を持った幣拝殿がありますよ。
見事だわー。上社よりも凝ってるよね。
この春宮そして秋宮が造営されるとき、諏訪を二分して氏子の半分を下社側に割譲なさいという命令(?)が出たとか。諏訪の力を弱めようとしていたのかしらね?
でもこの幣拝殿の雰囲気、落ち着いていて私は好きでした。
こちらが、下社・春宮の御柱。
あれ?
上社の御柱には御幣 (ごへい)というか大麻 (おおぬさ) があったのに、こっちには無いのね。ちなみに、上社の御柱の先端に付いていたコレのことです。
参拝者の頭上で振ってお祓いをするものが上社の御柱には付いていて、下社にはないの。うーん、怪しい!神に捧げるものでもあるんだよねー。
上社と下社の違いは他にもあります。
神紋にも違いがあるんだよ。
梶の葉紋。上社は根が4つ、下社は5つ。
この神紋は平安の頃からと言われてるようなのですが、この違いも知ってる人がいたら教えてください。
私の勝手な解釈は、下社の真ん中を貫くような根は、古典的な神社建築において必要条件となっている心御柱 (しんのみはしら) なのかなーなんて(^ω^*
上社がもっともっと原始的な流れをもつとすれば、 「本殿に心御柱」 という概念もないかなって、ちょっと思っちゃったのでした。
さて、次は諏訪大社の最後の宮、秋宮に行くのですが・・・その前に浮島神社に寄りつつ、万治の石仏も見てみよう!
諏訪大社下社の末社である浮島社。砥川が大きく蛇行しているところにあるみたい。
御祭神は祓戸大神 (はらえどのおおかみ) で、その名の通り祓を司どる神さまです。
砥川は、とっても澄んでいて綺麗でした。
小さい写真では分からないねww
清々しい気分になりましたよー。
そして万治の石仏です。
春宮に石の鳥居を造ろうとして、ノミを入れたら石から血が出たんだって。石工たちは恐くなって仕事をやめてしまったそうな。
その夜、石工の夢枕に上原山に良い石材があるとお告げがあって、そこから良材を見つけて、無事に石の鳥居は完成したんだって。
石工たちは、傷口から血が出た石に阿弥陀様を祀って記念としたんだそうな。
次回は下社の秋宮です。
つづく。
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