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柴又八幡神社 [東京]

東京都区内の古墳巡り。
今回訪れたのは葛飾区の柴又八幡神社。初参拝!

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柴又帝釈天周辺も、奈良〜平安時代の遺構や遺跡が発見されてる場所なんだって。
この八幡神社も江戸川から微妙に高い場所にあって、戦前から社殿裏に石棺状の石組みがあったのは知られていたんだそうな。そして八幡神社に円筒埴輪が保管されていたので、古墳だろうって言われていたみたい。



昭和40年から数回にわたる調査の結果、円墳であることが判明。6世紀後半の古墳時代後期に構築されたものだろうとのこと。平成14年には鍔(つば)付き帽子をかぶった下総型埴輪が出土。
帽子をかぶった姿が『男はつらいよ』の寅さんの姿に似てるので「寅さん埴輪」と愛称が付けられたんだって。下の写真 ↓ では、右が寅さん埴輪。



まずはご挨拶をしないとね^^
まっすぐの参道は気持ちいいね。



ご祭神は誉田別尊。応神天皇のことネ。
それから建御名方尊だって。へぇ〜、タケミナカタ! 諏訪に封じ込められた神様じゃん。いつからご祭神なのかは分からないけど、まぁ軍神として崇められてるから、この界隈には合ってるのかもしれないな。(意味不明よね。ごめんww)



初めましてのご挨拶。社殿の下に石室は眠っているようです。
社殿の裏手に向かうとき、八幡神社宮司の言葉が刻まれた石碑を見つけたよ。



尊い祖霊が一千数百年前からこの八幡神社の社殿の地下に鎮斉されていたので、その御遺骨と御遺品を島俣塚の御称号のもとに奉安したという内容。感謝を捧げる言葉が綴られてました。
此処からは遺骨や埴輪、直刀、馬具、須恵器などが見つかったみたいだよ。



この地に眠っていた人に思いを馳せて手を合わせてきました。
どんな人物だったのかなあ〜。柴又八幡神社は、柴又村の鎮守みたいなので、もちろん柴又地域を治めていた豪族なんだろうね。



しかし、見つかった埴輪などは何処で見られるんだろう?
葛飾区役所に問い合わせたら教えてくれるのかな……問い合わせてないけど(笑)

この古墳が造られた時代は、ヤマトが中央集権体制を強化する律令の時代。
戸籍制度で人々を土地に縛り付けて税の徴収を行っていた時代。
この頃、葛飾区は下総国に属してて、現在の柴又は「嶋俣の里」(しままたのさと)って呼ばれていたんだって。

そして正倉院文書の戸籍によると、此処は孔王部(あなほべ)という姓を名乗ってる人が殆どだったそうな。そして刀艮(トラ)と佐久良売(サクラメ)って名前の人物が記載されてるらしいよ。
私は『男はつらいよ』を見てないので詳しく知らないんだけど、トラとサクラ。ちょっと因縁チックな内容が古墳の本に書いてありました ^m^

古墳の埋葬者も孔王部(あなほべ)さんなのかなあ?



境内にあった祠。
誰が祀られてるのかはとくに書かれてなかった記憶が。どんな神様が坐るのかな。



時間を見ると 11 時半を過ぎたところです。
この界隈でお昼にしようと思って参道をうろうろしたんだけど、イマイチ惹かれる店がない。

前に帝釈天を訪れたときは焼き鳥屋さんでビールと焼き鳥にしたんだけど、この日もすごく蒸し暑くてね。焼き鳥っていう気分じゃなかったのだ。

しばらくうろうろしたんだけど、今回はこの界隈はパスして、次の目的地に向かうことにしました。京成線に乗って青砥で下りるの。そのあたりでランチにしようかな。

というわけで続く。


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