大学 [埼玉]
吉見百穴を観たあと、バイクで向かったのは大学1〜2年のときに通ったキャンパスです。写真を見て大学が分かる人も居るかもしれないですね(笑)
そのときは「ふーん、この大学の史学科出身なのね」と心の中で思って下さい m(_ _)m
守衛さんに声を掛けると、バイク置場を教えてくれました。(と言っても、自転車駐輪場と同じだけどw)懐かしのキャンパス!と言いたいところだけど、すっかり綺麗になっていて、あまり面影が無いw
あー、このあたりは昔は段差があったんだけど、見事にバリアフリー化されていました。
この建物は全く記憶にないわ。新しく建てられたのかなー。
広々したスペースがあちこちにあるよ。確かに敷地は広かったよなあ。基本方向音痴なので、あまりうろうろしない学生でした(笑)
あ。でもこの通りは記憶がある!
もちろん綺麗になっているけど、構造自体は変わってないわ。
この壁には旧校舎のパネル写真が展示されていて、それを見ると記憶が甦りました。パネル写真に写っている校舎が、まさにわたしが過ごしてきた校舎^^
教室も扉が開いていたので覗いてみます。綺麗になっているけど、こんな感じだったわー。
当時一緒に行動していた友人は敷地内の寮に居たの。なので、休講などで次の講義まで時間があいてしまったときは、彼女は寮に戻っていました。わたしはアパートに帰ることはしていなかったので、いったいその間、どこに居たんだろう?
記憶を辿りながらキャンパス内をうろうろすると、図書館を発見。外観は変わっているけど、確かにこの場所にあったかな。。。
それで思い出しました。わたしは図書館に居たんだ!
当時は自習室もあった記憶があります。そこに突っ伏して寝ていたかも ^m^
あとはね、ここに居ました。食堂や喫茶店がある建物です。この建物は殆ど外観も変わってなかったです。
ガラス張りの壁から中を覗き込んでみると、当時と変わらない景色が広がってました^^
2Fは喫茶店があって、サンドイッチ系の洋食メニューで多かったので、わたしはもっぱら1Fの食堂に居た気がします。しいたけラーメンっていうのがあって、めちゃめちゃデカい椎茸が3個くらい乗っている醤油ラーメン。干し椎茸の出汁が出ていて好みだったのよねw (YAPさんなら失神しちゃうねw)
この空間はサークルの友達と待ち合わせをした場所だったなーなんてことも思い出しました。
野球場、サッカー場、ラグビー場、テニスコート、いろいろ揃っている大学ですよ^^
大学をあとにして、この頃住んでいたアパートに行ってみました。当時は新築で入ったアパート。ちゃんと残っていて、今も人が住んでいるらしく、窓が開けられていてレースのカーテンが風に揺れていました^^
当時、寮の友達が遊びに来たときの写真を UP しておこうっと^^
3〜4年の専門課程に入ると、都内の校舎に移りました。卒業式の写真も見つけたので記念に載せちゃうよ。懐かしい記憶がいろいろ甦った日帰り旅です^^
【おまけ】
昔住んでいたアパートに行く前に腹ごしらえ。駅周辺にあるつけ麺屋さんで食べました。煮干し出汁が美味しいつけ麺でしたよ〜。
そのときは「ふーん、この大学の史学科出身なのね」と心の中で思って下さい m(_ _)m
守衛さんに声を掛けると、バイク置場を教えてくれました。(と言っても、自転車駐輪場と同じだけどw)懐かしのキャンパス!と言いたいところだけど、すっかり綺麗になっていて、あまり面影が無いw
あー、このあたりは昔は段差があったんだけど、見事にバリアフリー化されていました。
この建物は全く記憶にないわ。新しく建てられたのかなー。
広々したスペースがあちこちにあるよ。確かに敷地は広かったよなあ。基本方向音痴なので、あまりうろうろしない学生でした(笑)
あ。でもこの通りは記憶がある!
もちろん綺麗になっているけど、構造自体は変わってないわ。
この壁には旧校舎のパネル写真が展示されていて、それを見ると記憶が甦りました。パネル写真に写っている校舎が、まさにわたしが過ごしてきた校舎^^
教室も扉が開いていたので覗いてみます。綺麗になっているけど、こんな感じだったわー。
当時一緒に行動していた友人は敷地内の寮に居たの。なので、休講などで次の講義まで時間があいてしまったときは、彼女は寮に戻っていました。わたしはアパートに帰ることはしていなかったので、いったいその間、どこに居たんだろう?
記憶を辿りながらキャンパス内をうろうろすると、図書館を発見。外観は変わっているけど、確かにこの場所にあったかな。。。
それで思い出しました。わたしは図書館に居たんだ!
当時は自習室もあった記憶があります。そこに突っ伏して寝ていたかも ^m^
あとはね、ここに居ました。食堂や喫茶店がある建物です。この建物は殆ど外観も変わってなかったです。
ガラス張りの壁から中を覗き込んでみると、当時と変わらない景色が広がってました^^
2Fは喫茶店があって、サンドイッチ系の洋食メニューで多かったので、わたしはもっぱら1Fの食堂に居た気がします。しいたけラーメンっていうのがあって、めちゃめちゃデカい椎茸が3個くらい乗っている醤油ラーメン。干し椎茸の出汁が出ていて好みだったのよねw (YAPさんなら失神しちゃうねw)
この空間はサークルの友達と待ち合わせをした場所だったなーなんてことも思い出しました。
野球場、サッカー場、ラグビー場、テニスコート、いろいろ揃っている大学ですよ^^
大学をあとにして、この頃住んでいたアパートに行ってみました。当時は新築で入ったアパート。ちゃんと残っていて、今も人が住んでいるらしく、窓が開けられていてレースのカーテンが風に揺れていました^^
当時、寮の友達が遊びに来たときの写真を UP しておこうっと^^
3〜4年の専門課程に入ると、都内の校舎に移りました。卒業式の写真も見つけたので記念に載せちゃうよ。懐かしい記憶がいろいろ甦った日帰り旅です^^
【おまけ】
昔住んでいたアパートに行く前に腹ごしらえ。駅周辺にあるつけ麺屋さんで食べました。煮干し出汁が美味しいつけ麺でしたよ〜。
2019-05-02 19:49
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吉見百穴 [埼玉]
5月2日、朝早く起きてバイクで出掛けてきました。朝はまだ寒くて蓮田PAに着くころには身体が冷え切ってました。ラーメンを食べてあたたまったよ。期待してなかったら、なかなか美味しいラーメンでした(笑)
今回の目的地は埼玉県にある吉見百穴(よしみひゃくあな)です。
大学一年の夏休みは発掘のバイトをしました。そのときの現場監督さんが休みの日に連れてきてくれた場所。この監督さんはこの周辺に点在する古墳もいろいろ案内してくれました。北海道は本州とはちょっと違う文化を辿っているので、いわゆる「古墳時代」が無いのです。監督さんはいろいろ古墳のことを教えてくれたのですが、残念ながら当時、きちんと知識として身についたのかどうかは謎ww
ここ、吉見百穴は、古墳時代の後期〜終末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓です。
この不思議な景色が記憶に残っていて、今回また行ってみたいなーって思って、相方くんに連れてきて貰ったのでした。当時はもっと寂れていた気がするけど、それなりに整備されて、しかも有料になってました。
横穴墓は大地の斜面を掘削して墓にしたもの。吉見百穴のこの場所には、太平洋戦争末期に地下軍需工業が造られたのです。現在は調査・修復工事中なので、こちらには入ることは出来なかったよ。
横穴墓は入れる場所もあるので、のぼってみます。1つの横穴墓には複数の遺体を埋葬しているところもあるの。家族単位で追葬していたみたいです。古事記の話の中で、黄泉の国に行ったイザナミさんは、ウジがわいた姿云々という記載があるけれど、ここはまさに黄泉の国だよね。こんなふうに追葬していたのなら、先に旅立った死者がどんな状態なのか、昔の人たちは、よーく知っているわけだよねえ(笑)
相方くんも横穴墓に入ってみます。
もちろんわたしも入るよ〜〜!
ここに死者が眠っていたんだね。
残念ながら、心ない人たちによって壁には文字が掘られちゃってます。昔は夜中でも自由に入る混むことが出来たから、かなり荒らされてしまったところもあるみたい。お墓なのにね。(心霊スポットにもなっていたみたいですよ)
狭いところはしゃがんでいないと無理な大きさ、広いところはその場に立って見学できます。
今でこそ横穴墓だと分かっているけれど、明治20年に東京大学院生の坪井氏によって発掘されたときは、この横穴は土蜘蛛人(コロボックル人)の住居として造られたもので、のちに墓穴として利用されたと言われていたんだそうな。
大正時代になって、古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として造られたってわかり、住居説は覆されたのでした。コロボックルは北海道では馴染みのある小人だから、その説明が印象に残っていたのよね(笑)
てくてく散策して百穴がある丘陵のてっぺんに出ました。
これもつづじかな?
綺麗に咲いていたよ^^
ここの横穴墓には天然記念物のヒカリゴケが自生している穴もあるのです。昔は勝手に入れた記憶があるけど、今は保護のためにヒカリゴケがある穴には柵が設置され、中に入れないようになっていました。そうやって保護してほしいわ、まじで!(笑)
写真だと分からないよね。実際は、太陽の光が当たって綺麗な黄緑色に光っていました。ウン十年ぶりに来ることが出来た良かったなー^^
今回の目的地は吉見百穴だったけど、せっかくバイクで日帰り旅をしてるので、ちょっと足を伸ばして貰って、教養課程のころに通ったキャンパスも観に行くことにします。このバイクに二人乗りです〜。
のどかな景色を眺めつつ出発ですよ^^
つづく。
今回の目的地は埼玉県にある吉見百穴(よしみひゃくあな)です。
大学一年の夏休みは発掘のバイトをしました。そのときの現場監督さんが休みの日に連れてきてくれた場所。この監督さんはこの周辺に点在する古墳もいろいろ案内してくれました。北海道は本州とはちょっと違う文化を辿っているので、いわゆる「古墳時代」が無いのです。監督さんはいろいろ古墳のことを教えてくれたのですが、残念ながら当時、きちんと知識として身についたのかどうかは謎ww
ここ、吉見百穴は、古墳時代の後期〜終末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓です。
この不思議な景色が記憶に残っていて、今回また行ってみたいなーって思って、相方くんに連れてきて貰ったのでした。当時はもっと寂れていた気がするけど、それなりに整備されて、しかも有料になってました。
横穴墓は大地の斜面を掘削して墓にしたもの。吉見百穴のこの場所には、太平洋戦争末期に地下軍需工業が造られたのです。現在は調査・修復工事中なので、こちらには入ることは出来なかったよ。
横穴墓は入れる場所もあるので、のぼってみます。1つの横穴墓には複数の遺体を埋葬しているところもあるの。家族単位で追葬していたみたいです。古事記の話の中で、黄泉の国に行ったイザナミさんは、ウジがわいた姿云々という記載があるけれど、ここはまさに黄泉の国だよね。こんなふうに追葬していたのなら、先に旅立った死者がどんな状態なのか、昔の人たちは、よーく知っているわけだよねえ(笑)
相方くんも横穴墓に入ってみます。
もちろんわたしも入るよ〜〜!
ここに死者が眠っていたんだね。
残念ながら、心ない人たちによって壁には文字が掘られちゃってます。昔は夜中でも自由に入る混むことが出来たから、かなり荒らされてしまったところもあるみたい。お墓なのにね。(心霊スポットにもなっていたみたいですよ)
狭いところはしゃがんでいないと無理な大きさ、広いところはその場に立って見学できます。
今でこそ横穴墓だと分かっているけれど、明治20年に東京大学院生の坪井氏によって発掘されたときは、この横穴は土蜘蛛人(コロボックル人)の住居として造られたもので、のちに墓穴として利用されたと言われていたんだそうな。
大正時代になって、古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として造られたってわかり、住居説は覆されたのでした。コロボックルは北海道では馴染みのある小人だから、その説明が印象に残っていたのよね(笑)
てくてく散策して百穴がある丘陵のてっぺんに出ました。
これもつづじかな?
綺麗に咲いていたよ^^
ここの横穴墓には天然記念物のヒカリゴケが自生している穴もあるのです。昔は勝手に入れた記憶があるけど、今は保護のためにヒカリゴケがある穴には柵が設置され、中に入れないようになっていました。そうやって保護してほしいわ、まじで!(笑)
写真だと分からないよね。実際は、太陽の光が当たって綺麗な黄緑色に光っていました。ウン十年ぶりに来ることが出来た良かったなー^^
今回の目的地は吉見百穴だったけど、せっかくバイクで日帰り旅をしてるので、ちょっと足を伸ばして貰って、教養課程のころに通ったキャンパスも観に行くことにします。このバイクに二人乗りです〜。
のどかな景色を眺めつつ出発ですよ^^
つづく。