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牛嶋神社 [東京]

今日で浅草界隈の散策日記は終了にゃ。

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浅草寺をあとにして向かったのは墨田区の牛嶋神社。
葛飾北斎が『須佐之男命厄神退治之図』を描いて奉納した神社。参拝するのは初めてなのだ。

北斎の描いた作品は関東大震災で焼失したんだけど、明治43年に刊行された「国華」に掲載されていたモノクロ写真をもとに、最新技術をもちいて推定復元されたものは、すみだ北斎美術館で観ることが出来るよ。

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この牛嶋神社、ご祭神はもちろん須佐之男命。それから天之穂日命・貞辰親王命だそうな。明治の神仏分離令で「牛嶋神社」と名前が変わったけど、それ以前は「牛御前(うしのごぜん)社」と呼ばれていたんだって。神仏習合の頃は牛頭天王とも関わりがありそうだ。



鎌倉時代には浅草寺に牛のような妖怪が現れて、この神社に飛び込み、牛鬼は神として祀られたという話もあるみたい。牛鬼は牛頭天王(= スサノオ)だったのかな?(笑)

ここの神社の鳥居がすごく変わっているのです。三ツ鳥居なの。



このアングルの方が分かりやすいかな?
明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたものなのだ。別名、三輪鳥居。



三輪って聞くと、奈良の大神神社が浮かんじゃうねww
三輪山の拝殿と禁足地の間にも結界として三ツ鳥居があるとのことなので(しかも重要文化財)、いつか参拝したときに見てみたいなあ〜。

社殿も関東大震災で被害に遭ったので、昭和7年に今の場所に遷座して再建されたみたい。



太くて立派な足の狛犬さんをパチリしていたら……



銀杏の木に沢山の実がなってる!!
うわー! 銀杏拾いしたいww



鳳輦 (ほうれん) が飾られてました。
5 年に一度の例大祭では牛にひかれて町内を巡るみたい。



撫牛も居た!
自分の体の悪い部分を撫で、牛の同じ所を撫でると病気が治ると言われる撫牛。ここの撫牛は心の病も治ると信じられてるんだって。



この撫牛は文政8年頃(1825)に奉納されたもので、それ以前は牛型の自然石だったらしいよ。
そして狛犬ならぬ、狛牛!



狛牛は初めて見た気がするわ^^
ちゃんと阿吽になっているのか見てくるのを忘れたので、今度また参拝するときに観察してきます(笑)



なにせ暑くて暑くて^^;
ペットボトルのお茶も飲み干してしまったので、干からびないうちに帰ろう。
最初は三囲(みめぐり)神社にも足を伸ばそうかと思ったけど無理ww

この牛嶋神社、昭和7年に此処に移転してきたわけなんだけど、もともとあった場所には古墳かもしれないと言われた塚があったそうな。現在は消滅しちゃったみたい。



家に帰ってシャワーを浴びてスッキリ!
こんな感じで浅草界隈の「古墳かもしれない」散策は終了。
翌日は柴又の古墳(こっちは調査で埴輪も出土してる)に行ってきました。その記事はまたそのうち^^


……後日、9月17日、もう一度牛嶋神社に行ってきました。
神輿がたくさん出ていたよ〜。
狛牛は阿吽になってなくて、どちらも口は閉じてましたw


浅草寺の弁天堂 [東京]

昨日の記事の続きだニャ〜。

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浅草の「古墳かもしれない」場所を散策する旅w
待乳山聖天をあとにして訪れたのは浅草寺。

時間は 14 時過ぎだったので、観光客で賑わっている浅草寺です。ま、今回は「古墳かも」探しなので混雑してる場所はスルー。本堂へのご挨拶もナシです(笑)
五重塔を横目に見ながらチャリをコロコロ転がして……



目的地は此処。地図右下の弁天山。


公式サイトより拝借

全然意識してなかったけど、此処もたしかに小高い丘なのよね。



公式サイトによると、かつては弁天山の周りは池があったみたい。古墳時代に池があったのかは謎だけど(笑)
もしも古墳だったらお墓の上に立つわけなので、心の中で「失礼します」と声を掛けてから石段を上って、上から見下ろしてみた。



弁天さまにご挨拶。
古墳なんですかねえ? って聞いたけど、答えはなかった。(当たり前だ)



お隣にあるのは時の鐘。
早朝散策をしたときに 6 時になると此処の鐘が鳴ります^^



待乳山聖天も、この弁天山も、古墳の可能性があると唱えた鳥居龍蔵には申し訳ないけど、私には古墳なのかは全く分からないな。
でも、もしも古墳だったら、この界隈に 5 〜 6 世紀くらいに有力豪族が居たってことなんだよねえ。どんな豪族だったのかなーなんて想像するのも面白いな。浅草寺創建に関わりのある人たちだったのかなー。

いつも散策する浅草寺。これからはちょっと違う見方で楽しめそうです。
さて、この日もめっちゃ蒸し暑かったので、そろそろ家に帰ろうと思ったんだけど……ふと思い出して、もう一箇所立ち寄ることにしたのでした^^

浅草のある台東区から隅田川を越えて、墨田区側に行きますよ〜。


*** おまけ ***



東武線の浅草駅近くにある九曜星。焼き鳥屋さん^^
ここの鶏雑炊が美味しくて好きなのだー。もちろん焼き鳥も美味しいよ!
でもすっかり昼飲み人間になってしまったので、このお店にも何年も来てません。

そのうち来たいな〜と思いつつ、夜に出歩かなくなったからなあ ^ω^;


浅草、待乳山聖天へ参拝 [東京]

「今日からしばらくは、記事のカテゴリが "お江戸サンポ" になりそうにゃから、冒頭写真はボクにしてもらうにゃ」

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チャリで出掛けた浅草。
目指すは待乳山聖天です。まつちやま しょうでん って読むよ。古墳研究の先駆者・鳥居龍蔵によると、此処も都内の古墳候補のひとつなんだそうな。

確かに本堂があるのは小高い丘(待乳山)の上。古墳だった可能性はありそうだよ。

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公式サイトの境内案内より拝借】

木々のてっぺんの間から本堂が見えます。



この階段を上っていこう〜! 天狗坂って名前のようです。
参拝するのは何年ぶりかなあ。鎮座されているのは聖天さま(大聖歓喜天)です。もともとはヒンドゥー教のガネーシャ(象の頭の神様)に相当する神。仏教では天部の一つ。



願い事はないので、ご挨拶だけ。
「古墳を探しに来ました」って伝えておきました。この本堂の下が古墳だったんだろうか……



江戸時代の待乳山聖天は、こんな感じだったそうです。
かなり広範囲だよね。もし古墳だったとしたら、結構な規模なんじゃないだろうか。



待乳山からの景色、現在はこんな感じです。
どーんとスカイツリー(笑)



実際に発掘されたことはないだろうから、この山が本当に古墳なのかは謎だけどw
でも古墳かもしれないのね! って思いながら境内をうろうろしました^^



聖天サマとはあまり関わりがないので、参拝するのも数年ぶりだったけど(そのときも願い事はしてない)、久しぶりに境内を歩いて気持ちよかったな。



境内を出るときに「ありがとうございました」と一礼して、チャリに乗ります!
さあ、お次は浅草寺の古墳候補地に向けて GO ですよ〜^^


東京下町の古墳、プロローグ。 [東京]

9月も暑い日が多かったですねー。
あおくん、洗面台で寛いでますよ。ヒンヤリするんだねえ^^

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相方クンが出張中、いろいろ出掛けようと思ってたの。

私「居ないあいだに大宮に行ってくるね」
相方クン「なんで?」
私「氷川神社に行ってくる〜。スサノオさんにご挨拶よ!」
相方クン「えー、それはオレも行きたい」

相方クンは愛知県(名古屋)出身と言ってるけど、高校1年までは埼玉県民。
この界隈はとても懐かしい場所なんだそうな。久しぶりに訪れたいとのこと。
うーむ、じゃあ氷川神社は別の機会にするかぁ。

私「じゃあ都内の古墳巡りするよ」
相方クン「それは興味ないからどんどん行っておいで」

と言うわけで、都内の古墳を見に行くことにしよう!

こんな本を読んでいたので、いろいろ行ってみたいところがあるんだよ。
でもいきなり東京の西方面に行くのは遠いので、近場から^^

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***
今日の記事はプロローグ。興味ない人はスルーでよろしく!
鬱陶しいウンチクと私の備忘録ですww

じつは最近まで、東京の古墳は府中や国立、多摩川沿いなど
どちらかというと西方面にしかないんだと思っていたのだ。上野公園内にはあるけど、上野は高い場所だからねー。遥か昔、東京の東側は湿地だったり海だったり。そんなところに古墳があると思ってなかったの。
(家康が頑張って江戸の町を作った!ww)

でも千葉ドライブをしたときに古墳のことを調べて、東京の東側にもけっこう古墳があることを知ったのよね。で、この本を読んでさらに行きたくなったのでした(笑)

まずは柴又にある古墳に行こう! と思ったんだけど、この日は京成線で停電トラブルがあり電車に遅延があることを知ったので、柴又は翌日行くことにして、この日はチャリで浅草方面に向かいます。

いつも散策するコースなんだけど、まさかいつも見ている場所が古墳だったとは! というわけで、今回は「古墳かもしれないのね!」ってことを意識して見てこようって思ったのでした。



浅草にある古墳に関しては「古墳の可能性がある」っていうのが正しい言い方みたいです。



ここで登場するのが鳥居龍蔵という人物。
19世紀〜20世紀に生きた人です。東京の古墳研究の先駆者だそうな。

知らない人だなーって思って Wiki を見たら、鳥居さんが師と仰いだのが坪井正五郎って書いてあった。坪井さんは知ってる!
現在の東大の人類学者。
日本石器時代人 = コロポックルっていう説を唱えた人だから(笑)

鳥居龍蔵は坪井正五郎の命を受けて千島列島北部とカムチャツカ半島へフィールドワークに行って、その結果、アイヌ民話に登場する小人・コロポックルは伝説だって実証。結果的に坪井正五郎の説は間違っていたということになってしまったのだ。

そうか、坪井さんの説を覆したのが鳥居龍蔵だったのか。
そんな鳥居さん。
関東大震災で廃墟となった東京の古墳を調べ始めたんだって。建物がなくなったことで、元々の土地の起伏が露呈したから。江戸時代の諸本を集めて調査を開始して、以下の場所が古墳ではないかと述べているそうな。

・浅草 待乳山聖天
・浅草 浅草寺内の弁天堂
・東浅草の駿馬塚
・将門塚
・台東区橋場の妙亀塚
・墨田区本所牛島の業平塚
・墨田区の梅若塚
・葛飾区青砥の御殿山
・葛飾区立石の南蔵院裏

今回は浅草の待乳山聖天と、浅草寺内の弁天堂に行ってみることにするよー。
というわけで、次回に続く^^

あ、次回からは面倒な話はないです。
散策したときの写真メインですww



良い天気。ママチャリで隅田川沿いを走るのでした^^